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お客様を育てる


(この記事は以前書いたマガジンの記事を加筆修正したものです。)

いい消費者

僕はうちのお客様に「いい消費者」になってほしいと思っています。
「賢い消費者」と言い換えてもいい。
(お店に好かれるお客様、という話ではないです。)

いいサービスを受けていただき、いい商品を利用してもらう
飲食店でいえば、いい接客を受けてもらって、いいものを飲んだり食べてもらいたいと考えています。
そして、そうではないものに出会った場合、自分が受けるに相応しくないサービスだと認識できるようになってほしいし“よくないもの”を当たり前のものだと思わないようになってほしいと思っています。

いいものとは、美味しいといった主観的な感情で定義されるものではなく客観的に「適切なもの」を指します。

いい映画には必ず作り手の思いや技術や努力があり、まぐれはないです。
リテラシーがあればそれを見抜く、もしくは感じることができるようになります。

豊かさ

僕の子供の頃の贅沢なおやつはミスタードーナッツでした。
ダイエーで買い物をした帰りに母が連れていってくれて、オレンジジュースとアーモンドリングという今はメニューにないドーナッツを食べるのが小さな楽しみでした。当時まだ100円だったマフィンはホテルのモーニングにあるようなポーションのマーガリンがついてきてそれも格別な美味しさだった。
「良き思い出」という思い出加点を差し引いても本当に美味しかったと思う。

もしも、そのままミスタードーナッツにしか行かない人生だった場合「家庭の味とミスドの味」しか知らずに一生を終えることになるのです。
それはそれで悪くない人生だと思える。
僕はそもそもミスドが好きなのでそれでも幸せだと思う。
その世界が当たり前だと思って一生を閉じる。仙台という街で。

それでもやっぱり外の世界には
「1人の人間として認めてくれるサービス」や
「きちんとした素材から作られた繊細さと大胆さを兼ね備えた菓子」
だったり
「正しいプロセシングや焙煎、抽出が行われたコーヒー」
が存在している。
それを経験してほしいのです。何も知らないよりはたくさん知っていた方がいい。

そしてその方が豊かであることは明らかです。密度の濃いものと言えます。

僕の中で選択肢が増えることは「豊かさの象徴」です。
お金がなくても選択肢が多ければ豊かだし、お金がたくさんあっても選択できることがなければそれは豊かではないです。

いい消費者であるということは「多様な選択肢から正解(により近いもの)を選べること」だといえます。
そして「きちんといいものに気付けること」です。


体験した数はその感覚を鋭く研ぎ澄まし、自分の身を不適切な駄作から距離を置き守ってくれる盾でもあるのですね。

鈍い感性

僕は地方の出身なので雑誌とかテレビの質が低い、ということに触れ合う機会が多いです。
「それ、本当に美味しそうに見えてる?え、本当に?」
ということがあります。雑にカットされ、雑に盛り付けられたケーキなどをレポーターさんが
「すごい美味しい!可愛い!」
と喜んでいたりするし、そういう商品が雑誌で取り上げられたりしている。

視聴者や読者をバカにしているのでは…というシーンによく出会うのですが、そういうわけではなく、それしか知らないのです。
受け取る側がそういう情報を喜ばなくなってしまえばいいのですが「メディアで取り上げられた」というだけで行列ができたりするのが地方です。(東京でもたまにありますが)

感性が鈍くなっているのです。
環境が濁っているから濁った水が混ざっても何も感じなくなる。

ここでもお客側に「選択するチカラ」があればいいのですが、先ほども書いたように”体験の数”が必要なのです。
美味しいものを食べ歩く、とはまた少しニュアンスが違ったりする。
(美味しいものと適切であるものの区別を書いた記事はこちらです。)

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どちらが甘いのかを表す事は技術上可能ですが、どちらが美味しいと感じるかは主観でしか決定されないのですね。
実はそのデータを伝えるという追求こそが僕らの大事な仕事なのです。
ただ「美味しいですよ」とだけいうのはむしろ怠慢です。
小さな備品やパーツのひとつひとつのアナウンスの積み重ねによってきっと美味しいのであろうという興奮やワクワクした気持ちをお客様に抱かせるのです。

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美味しいは個人の主観でしかなく比較するだけ無意味なんですね。
美味しいか美味しくないかは主観だからどうでもいいので、適切なものかどうかが大事なのです。


包丁を拭わずにカットしたであろうと思われるケーキに温度管理がずさんなボソついたホイップクリームを300円のお皿に乗せました、というような商品に感心しているようではダメです。
それは客観的に見て「もっと気を使ったものが作れるのでは?」と誰もが感じていいはずなのです。

きちんと温かいナイフで1カットずつ切り分けられたケーキに。
砂糖が10~8%の割合で立てられたホイップクリーム。
スプーンで丁寧に落として盛り付けられた冷えた器。

であればそれが口に合わなかったとしても「いいもの」として認められていいのです。
そういうものを選んでいけるようになってほしい。

反復練習

いい消費者になってもらうという点でお客様を教育するということも僕らの仕事だと思っています。(というと偉そうですが)

いいものに気付く、見抜くためにはとにかく量です。(繰り返しですが)

帝国ホテルばかり行っていてもダメだし、リッツ・カールトンだけでも良くない。アパホテルとビジネスホテルばかり、というのも足りない。温泉も、旅館も、パリのオンボロアパートのお風呂も必要です。サウナも銭湯も。

たくさんの傑作、たくさんの失敗作、たくさんの駄作、そういうものをバットの素振りでもするように自然とたくさん体験しないといけない。数をこなさないといけない。
数をこなさないといいものかどうかはわからないです。

時計は3つ必要という話があります。
時計が2つだけではどっちの時間が正しいかなんてわからないけど、時計が3つあればどの時間が正しいか分かるということです。時計の数は増えれば増えるほどいい。

データが多ければその分比べることができるようになるんです。

僕らの仕事は「お金をいただく」という性質上、傑作を提供するという方向に向かうことになります。
傑作、というのは先ほども書きましたが「最高に美味しいいちばんのもの」というあやふやな頼りないものではなく「丁寧に手間ひまかけて作られた適切な作品」ですね。

傑作は分解していくといろんな要素から出来上がっていることが分かります。カフェでいうと食事やサービスの質、器やグラス、BGMはもちろん、看板や内装、スタッフの服装や話し方まで全てのものが1ピースです。神は細部に宿るのでひとつでも不足してはいけない。

それに気付けるようにお客様を育てたいのです。

僕はお店を作る時に「生産性」という話をよくしていた。お店に来たお客様が気持ち新たに創造力を産み出してもらえたらいいな、と。
それは簡単なことでよくて
「素敵なBGMだったから新しい音楽を聴いてみよう」とか
「ご飯が美味しかったから真似してみよう」とか
「スタッフさんの靴がナイキで格好良かったから同じものを探してみよう」とか
そういう些末なことでいい。
カルチャーショックとも言える。「価値の転換」です。今までの自分の世界が歪むこと。

そういう気持ちを生産して帰ってもらえたら1番嬉しいです。お客様の感覚がわずかにでも研ぎ澄まされればそれは僕の中で「より良くなった」と思えるのです。

そしてそれが”お客様を教育する”ということなのです。
そういて新しい選択肢が増えるということはこれまでの世界とは別のものが自分に入り込むということなのです。
もしかするとそれは一過性のもので自分には合わなかった、となってしまうかもしれないし一生付き合うことになるかもしれない。

その精度は経験値が上がっていけばどんどん高くなる。選択肢が増えれば豊かになります。

せめてうちにいらっしゃっているお客様は「いいもの」を身の回りにたくさん置けるようになってもらえたら嬉しいな、と思います。
そしてそれが「いい消費者」であり、「賢い消費者」だと思います。
食べて終わり、飲んで終わり、お金使って終わり、ではなく。

僕がよく通っているフランス菓子のお店は”嘘と迷信のないフランス菓子”と謳っている。それに尽きると思う。

適切なもの、というものは嘘や迷信のないもの。
皆さんの水が澄んだものになるように祈るばかりです。




お店にも来てくださいね〜〜!!