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他人に興味が持てない悩み

幼いころから「人にもっと興味を持ちなさい」と親から怒られてきた。という割には「人は人、自分は自分」なんて言うもんだから、なんか腑に落ちない感覚は子どもながらに感じていたのを覚えている。

怒られることなのだから、きっと「人に興味を持てないこと」は”悪”なのだろうと思って生きてきた。でもどうしても、「興味を持てる」タイプの人が簡単にできるようなことができない。

例えば、友人が誰かと付き合い始めたと聞けば「どんな子なの!?」とか「今どんな感じ??上手くいってる??」とか、いわゆる定番の質問をしようという頭になれない。
もちろん上の例でいえば、「おめでとう」「よかったね」という気持ちはあるし、これからも上手くいき続けて幸せになってほしい、とも思う。

でも、正直それ以上もそれ以下もない。
なんか空っぽな人間だなと思う。さびしいというか。


今でこそ、ある程度人生経験は積んできて、場が悪くならないようにくらいの気が利いたことは言えるようになっているつもり。だけど、それも形式上に過ぎないから話も広がらないし、答えに対しても感情のこもったリアクションが取れない。困った挙句「へ~、そうなんだねえ」と不自然に何度も首を縦に振ってごまかしてしまう。

今思えば、就活中にはよく性格診断なるものを受けさせられたのだが、「自分のことのように人の喜びや悲しみを感じられる人である」(意訳)という質問が毎回といっていいほどあった。感じることはできるけど、「自分のことのように」がどうしても引っかかる。ただし、「そうなりたいな~」という願望も込めて「Yes」の方のボックスにチェックを入れていた。(でも正直に答えたほうがいいです。絶対。)

幼いころの気持ちや考え方は全く覚えていないけど、今では「他人のことを100%わかってあげられるなんて無謀だよな」と諦めている節がある。諦めていることで自分を正当化しようとしているのが見え見えである。これに関しては自己嫌悪えぐい。

でも感情移入が全くできないわけではないんだよ、、、。
感動する映画を観れば人並みに涙を流すし、自分と同じ境遇の人なんかと話をすると痛いほど気持ちがわかることもある。

その違いは全く言語化できない。最近ずっと考えているけどまじでわからん。

でも考えた結果思ったのは「人に興味が持てない」のは「人それぞれだから悪でもなんともないよ」という励ましのクリシェで終わらせてはいけないということ。単純に人とまるで共同体のように感情を共有している人を見ると尊敬しているし、ああなりてえなとも思う。
それでも最後には「自分には無理だ、、、」なんて諦めて、えっぐい自己嫌悪に陥っているわけだけど。

「人に興味が持てない」ことに関しては、自分の身の回りの人と共有できた試しがないため、記事に書いてしまいました。書いて整理できるかも、言語化できるかもなんて淡い希望はないといったら嘘になるけど、結局無理でした。ざんねん。

唯一感じたのは、こんなオレと仲良くしてくれる人さんきゅーな、ということ。うまいもんでも食いに行こう。

ばか拙文でした。また書きます。


(追記)
今回の記事は思ったままに考えたことをつらつらと書いているだけなのできっと読みにくいです。読んでいただいた方には感謝しております。

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