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「安定」を求める弱さと向き合った話。

今年を振り返るならば、やはり4月のことだろう。
あの頃感情を忘れないように記録しようかと思ったけど、どうしてもできなかった。半年以上経った今でも、鮮明に思い出す。

去年、千葉の家庭医研修を終えて、6年間働いた病院を出ることにした。
いくつかの理由があるけど、一つ大きなものは、自分の思いもつかないこと、知らないことをやってみたいと思ったから。

僕は当初、福井、軽井沢、東京の三拠点での生活を始める予定だった。今まで経験したことのない「新しい働き方」に、ワクワクしていた。

しかし3月にあっという間にコロナが広まり、緊急事態宣言がもうすぐと世の中で呼ばれていた頃、ちょうど僕は東京に引っ越して1Kの小さな部屋で新生活を迎えようとしていた。

3月31日、前から準備していた福井に向かう新幹線の切符を手に、上野駅で電車に乗る直前。4月から働く人たちと相談して、東京から出られなくなる可能性を考え、急遽軽井沢に移動することになった。

先の見えない不安の中で、一度部屋に戻り、いつ帰ってこられるか分からない東京の部屋から荷物を引っ張り出し、スーツケースひとつで最終便の軽井沢行きに乗り、ホテルを取った。

4月1日からはじまるほっちのロッヂの初日を、僕は自主隔離のためホテルで迎えた。

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あんなに希望がない4月1日は、人生で初めてだった。
軽井沢はまだ雪がたくさん残り、町には霧が籠っていた。
未知のウイルスに感染しているかもしれないという恐れのなか、ほっちのロッヂのはじまりにも立ち会えず、駅前のホテルで過ごした日々。
10平米そこそこのホテルの一室で、身の置き所もなく、何度か過呼吸になったことを覚えている。

やっぱり予測できる「安定」が欲しかった

慣れた環境から飛び出して、自分の知らない世界、予想ができないことに身を置きたかったのに。沢山経験を積んで、それだけ不確実さに耐えられる強さを身につけたと思っていたけど、とんだ思い違いだった。
結局は、数ヶ月後にはこうしようとか、東京ではこんな暮らしがとか、こんな仕事をしたいとか。多分に予想をして、その通りに過ごせることを期待していたのだ。

数日ホテルの部屋で冬の空を眺めながら、あれこれ考えた。
考えた結果、考えないことを決めた。
一日一日を、重ねることにした。

1ヶ月先のこと、半年先のことがわからなくても、今日のこと、もしかしたら明日のことは少しわかるかもしれない。
今生きていること、ご飯を食べて美味しいと感じること、人と話すことを大切にしようと思った。
そんなことを考えながら日々を過ごしていて、気がついたら半年以上が経ち、こうしてやっと、少しずつ言葉にできるようになった。

予想していたよりコロナの影響は長く、まだ予想もつかない。
それでも、今軽井沢にいること。その日あった人と交わした言葉、風の冷たさ、土の匂い。
来る年も、そうした日々の関わりを重ねることを大切にしていきたい。


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