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twitterからの、緩やかな退却

初回にオーディオシステム全景を紹介しましたが、マニア色の強い機器レビュー等は従来通りはてなブログで取り扱うことにします。かつては思考実験の場としてtwitterで長文treeを投稿することも多々あったけれど、そういう役割をこのnoteに移します。日をまたいでじっくり原稿を練るというレベルではなく、その日のうちに書ける分量(1200文字くらい)から始めて、慣れてきたら徐々に長くしていこうかなと。それに伴い、twitterから完全に撤退することはないけれど、徐々にその比重を下げていくことにしました。

最近、なるべくネット上でも適度なパーソナルスペースを保てる空間で書き綴りたいという欲求が強くなりました。これまで、TWEETDECKのリアルタイム更新をONにして「ただ眺めているだけで」情報が降ってくる光景が何年も続いていました。こうした環境に身を置いていると、人間として本来備わっているシングルタスクへの集中力が退化しているように感じます。加齢によって減少していく能力のひとつではありますが、マイPCを持っていなかった高校生くらいの頃とはもう比較にならないほど物事への集中力が落ちています。まだ30代前半なのに、これはまずいと危機感を持ちました。

それに加えて、twitterはいざ何かを筋道立てて長文で書こうとしたときに、非常に相性の悪いツールです。というか、最初の出発点からそういう用途として設計されていないのですが、以前のtweetと今のtweetをツリーで連結する機能が後付けで実装されたことで、余計に混乱する事態を招いている気がします。いくら連結できるようになったからと言って、「一区切りが140文字」という制限はそのままなのです。罫線の引かれたキャンパスノートにシャープペンで書き進めていくのとは違います。

3つ4つ繋げたツリーが何となくその時は書けたつもりになっていても、後で冷静に読むと文脈が把握しにくい・・・なんてことは多々あります。そしてそんな隙だらけの文に「即時、相手に直接物を言いやすい」のがtwitterです。そりゃ荒れやすいわけですよ。フォローする数が増えるほど、また共通の趣味の「クラスタ」が大きな輪になるほど、揉め事を目にしなくなるには厳正な管理が必要となってきます。私自身が何かの論争に参加しなくても、フォロワーがそれに参戦しているのを見てしまうこと、また私が直接的に火種の現場を見ていない場合でも、傍観者が「またやりあっているのか」みたいなtweetを目にするだけでも、意外とこれが精神を消耗させられるのですよ。

自分がツリーを繋げて何かを書こうとしている最中にも、次々に前後の脈絡のない情報が降ってくること自体が集中力の妨げになる上に、文脈を「構築しにくいし、読み誤りやすい」環境において、これをありきたりな日常tweet以外の話題で長文でも周囲の認識の齟齬なく使いこなせる人って、実は天才なのでは・・・?


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