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チラシの裏に書くことは「表現」ではない

前エントリ「自分の感覚を信じて」のタイトルから思考を発展させて書かれたと思われるフォロワーさんの記事。至極その通りの内容なので特に反論する点もございません。それにいつも思うけど文章そのものが私より格段に綺麗だなぁ・・・

なるべく「当事者間」しか閲覧機会がない状況(メールやDM)を、可能な限り減らしていきたいなと思ったりすることがあります。それは、私と相手の2人以外にも、これを読んで何かを感じてくれることがあるかもしれないから。

twitterではDMなら1万字まで書けるので、表では当たり障りのない事だけ言っておいて、分かり合える相手にだけ本当に大事なことを直通でやりとりする、そういう人は意外に多いのかもしれません。

ほんの1割2割は私信ではあるけれど、そこに公益性であったり人に気付きをもたらす可能性のある情報があれば、なるべく他者がアクセス可能な場所で書き綴ってほしいなと思う。人間関係の複雑なしがらみがあって、何となくその気が進まないという気持ちも分かります。でも、こういう時にnoteは便利です。その「緩く広いコミュニティ」の、外側から来てくれる一見さんがたくさんいます。

例えば今日の投稿は、いつものようにSNSで更新通知をしません。多分定期的に巡回してくれてる人もいるだろうけど、そういう人は別に良いんです。多少なりとも好意的に認識してくれてるだろうから。

ひとつのテーマのある人の投稿に対して、同じ趣味のコミュニティの人々が、コメント形式でツリーに書き加えていくのが「垂直展開型」というイメージに対して、今日の記事で私が行っているのは「水平展開型」と捉えることができます。というか、自覚ないかもしれないですがnoteって基本的にそういう雰囲気で進行してるんです。これは現代的なSNS、コミュニティサイトに疲れてしまった人にはきっと適している場所のはず。

表現とは、本質的には他者を間接的に巻き込むことで成立します

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