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マクドナルド、待ち合わせ、曖昧な会話

マクドナルドで朝ごはんを食べる。
祝日の朝は家族連れで混んでいる。雨なのに(雨だから?)ウーバーと出前館のお兄さんたちも同様に列に並んでいて、ちょっと同情する。
私の前にはスキンヘッドの怖そうなおじちゃんが今並んでいて、店員さんは待たせたことを「すみません、すみません」と5回くらい謝った。そのあと私には1回だけ謝られた。
わたしにも見た目の迫力があれば、もっと自分の意見が言える人間になってたかもしれない。
というのは、鶏が先か卵が先か問題なのか…
本当にそんな人間になりたいかも謎だし、店員さんの気持ちもよくわかるし、普段通りに低姿勢で注文した。

電車内で待ち合わせしようと思っていた。
彼が乗る電車に私も途中で乗り合わせて、そのまま目的地に行こうという作戦で。彼もそう思っていると思い込んでいた。
「53分に着くやつで行くよ」
「わかった!」
そして約束の53分。電車に乗って彼を探すと、彼は電車から降りて、ホームで私を探していた。
まるで月9の恋愛ドラマみたいにすれ違ってしまった。

会話は質問と返答で成り立っている。
質問は相手への興味、返答は自己開示。この2つがうまいバランスで成り立っている時に、楽しく会話できる。人との会話で後悔するときは大抵、人の話を聞きすぎている時か、人に話をしすぎている時だ。
私は、友達と遊んだ帰り道や仕事を振り返って寝る前に「咄嗟に返せなかったけど、あの時こう言えばもっと盛り上がったのかも」「あの時調子に乗ってあんな風に言って、相手は嫌な思いしたんじゃ?」といつも1人反省会している。

最近、「難しいですね〜」で会話を終わらせてはいけないというツイートを見かけた。
難しい話として終わらせるのではなく、何か解決策を見つけねばならないと。相手が本当に解決策が欲しいのかは疑問に思ってしまうけれど。
曖昧に返答することは悪いことじゃない気もする。何事も善か悪だけでは判断できないし、いつも私は「どうなんでしょう」「何事もバランスですよね」と、曖昧な返事しかできない。

信念のある人って羨ましい。

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