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花道セレクションに出て一番聞かれた質問

なんで職人を辞めたの?

まあ、そう思いますよね


職人仕事が嫌いになったわけでもない
伝統工芸は相変わらず好き
食べられないなら副業はあった

でも辞めた

片方の目が見えなくなっても
もう片方が見えていたら障害者認定すらされない

私は姪っ子が2人います
1号はよく最前線の病気をもらってきました

近所に住んでいた私は姉家族のところによく遊びに行っていました

ある日、姪っ子1号がプール熱にかかりました。
家族全滅状態で、食料や簡単なお手伝いなどにいくと案の定うつってしまったのです。

プール熱は喉の痛みや発熱などいくつか症状があります。

私は両目ともひどい結膜炎を発症しました。

結膜炎自体はなることもある病気です。
ただ、職人がなると大問題です。


物が見れない

これは大ダメージ
私の場合は感染の恐れもあったので3週間、仕事ができませんでした。
もちろんその間の給料保証はありません。
目の痛み、かゆみに耐えながら、家と病院を往復する日々でした。


視力の低下

ここからが問題でした。
私は特に左目の炎症がひどく、黒目が一時白濁する状態にまでなりました。
合わせて視力の低下。
見えるんですよ?低下だから。
でもね。職人は目が全てなんです。
見えている世界にズレがあったら、今までと同じ物は作れないのです。
この時点で、仕事は首になるだろうなという覚悟を決めます。


片目弱視は障害者認定されない

メンタル的にも体力的にも弱り切っていたこの頃ですが、それでも生きていかないといけない。視力の低下がどこで止まるのか、回復するのかわからない状態で生きていくつ道を探し出します。

まずは、障害者手帳。
程度によるのだろうなとか思ってたんですよ、最初。
でも片目が矯正視力で0.7以上あれば認定されないんです。
この辺りは細かい規定があるので、ここではざっくりお伝えしますが


たとえ片目が失明しても片目が正常に働いている場合
認定されない

ということです。

え!?

って思いました。

は!?

って。

確かに生活に不便は生まれるけど、生活できないわけではないのでしょう。

問題は私が職人であるというところです

私は漆の職人を約10年続けてきました。
その前に百貨店販売員をしていましたが、人との関わりが難しく物と関わる仕事に転向したのです。

つまり、何にもスキルがないんです。
一般の世の中に出て生きていける術を持ち合わせていない。

このことに気がついた時、愕然としました。

今までは1つのことを続けていることが素晴らしいと言われてきました

職人はずっと修行をしているような物ですから、他のことに目もくれず一心不乱に1つのことを追求することが正しい生き方である。

そんな認識を持っていました。

でもね。

私の人生の責任って私しか取れないんですよ。

周りの人が素晴らしいっていくら言ってくれたって、褒めてくれたって
その人たちは他人なんです

その時に

ああ、職人がしたくてしてたわけじゃないんだ

って思いました。
褒めて欲しかったんですよね。

モノづくりは好きだったし、伝統工芸品も好き

だから職人をしているんだって思ってたんですけどね。

誰もしないからそれをしていたら褒めてもらえる

って思ってたんですよね。

これ

依存

って言います。

そのことに気がついた瞬間、全部手放すことにしました。

急に仕事は変えられないから、週に1回だけ知り合いのつてでコワーキングスペースの窓口業務に入り、世間との関わりを増やしていきました。

何かあっても生き延びられるように

パラレルワーカーとなり、今は5つの仕事をしています。

職人仕事をしていると、なぜか周囲の方から崇高な意識を持っているとか、文化の継承をされていて素晴らしいとか言われます。

でもね。

職人のみなさん。

ちゃんとご飯たべれていますか?
値切られていませんか?
無理な単価の注文を受けていませんか?

断ったっていいんです。

辞めたっていいんです。

あなたの人生を大切に生きてください。

お願いだから、誰かに消費されないで。

あなたのサポートで頑張れます❤️