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「固定観念」から自由になるための鍵

この間、イスラム教徒のお友達と
久しぶりに話す機会がありました。

彼は生まれた時から
いくつもの国を転々としたそうです。

イスラム教と聞くと
「過激派」のイメージが強いですが、
まさにその過激な人々によって
安全に暮らすことができなかったから。

彼の同胞で、テロに巻き込まれ
無くなった方もたくさんいます。
今も、その紛争は世界中で続いています。

そして皮肉にも、被害者も加害者も
同じ「イスラム教」を信仰していると
社会的に認識されているケースが
少なくありません。


ともあれ、そんな彼ですが
イギリスでは大学で宗教学を専攻、
各宗教の原理や背景を深く学び
学校や地域で教えてこられました。

現在は、元ペルシャ王国の末裔の
いわゆる「王子」に当たる人が
彼の宗教的メンターだそうです。

わたしは無宗教ですが、昔から
人がなぜ信仰を求めるのか、ということに
関心がありました。

カナダに来てからは
キリスト教の教会にもしばらく通い、
「キリスト教とはなんぞや」について
多少なりとも勉強もしました。

実はいろんな宗教の人に
ものすごく好かれるんですが(笑)
わたし自身は洗礼を受けるとか
そういうことには全く関心がありません。

警戒心があるとか、そういうことではなく
「〇〇教徒になる」
という宣言をする「必要性」が、
「自分には」全く感じられないんですね。

宗教が果たす役割、というのは
わたしなりに認め尊重したうえで、です。

そういうわけで、信仰のある友人を
何人も持ちながらも、
特定のなんとか教徒になることもなく
今日に至っています。


彼は、真のイスラム教の教えは
どんな相手にも尊重を持ち
お互いを労わり協力し合って生きること、
だと言います。

「信仰と〇〇教徒というラベルは無関係」
と言う彼だからでしょう。
わたしたちはお互い、宗教のことも含めて
どんな話でもできる友人関係にあります。

その彼に言われました。

「君は本当に、オープンマインドだよ」

後でその言葉を思い出しながら、
わたしの行動パターンを振り返りました。


「納得の投資」までの5ステップ

いきなりですが、まず
わたしは経済的に貧乏です(笑)

正確には、昔はお給料も十分いただいて
多少の余裕はありました。

今は、お給料は一銭もいただいていないので
全部自分で稼ぐのが前提で、
当然、稼いだお金は「必要なもの」に
最優先で使います。

ただ、非常にありがたいことに
「毎日の生活にも困るほど」ではありません。

農家さんからは物々交換的に
高品質の食材をいただいていますし、
自分でも商売にしたり畑も多少やっているので
正直、食に関しては贅沢なくらい恵まれています。

ただ「無駄遣いする余裕」は
全く、これっぽっちも、ありません。

5000円のセミナーでも大いに迷います。
5万円だったら、もう超悩みます。

しかし、内容によって
「これは投資する価値がある」と思えば
「あ~、痛いな~」と思いながら
後で困らないかドキドキしながらも、投資します。

昔は正直、5万円、10万円くらいなら
もっと気軽に出費できていました。

今は、ほんの5000円でも
めちゃくちゃ考えた上で投資しています。


なぜこんな話をしているかというと、
この経済的困窮プロセスによって
わたしの

「お金を使う上で、失敗(=浪費)は絶対に許されない」

という感覚が
研ぎ澄まされてきたのではないか、
と思うからです。

限られたものであるからこそ、
それをどう使うかを心底真剣に考え抜き、
使うところでは納得の上で使う。

浪費ゼロ、投資100%しかも
コスパのいいものを!ということですね。

お金がもっと自由に使えた時は
ここまで真剣に考え抜くことはありませんでした。

自分では考えていると思っていましたが、
今考えればへそで茶が沸くほど笑える
「あまあま」でした。
必要は発明の母とはよく言ったものです。

ともかく、そういうわけで
わたしは何にどうお金を使うかを
ものすごい真剣さで考えるようになりました。

その決断までにはパターンがあって

①情報収集
②観察・考察
③自分でやってみる
④必要なヘルプは何か?を絞り込む
⑤投資

これを、たとえ5000円の出資でもやります。
無駄にするお金、無いから(笑)

以下、詳しく解説します。

①情報収集

これには2側面あって
(1)自分の欲求の精査
(2)対象物の精査

(1)は要するに
「どうしてそれが必要なの?」
もっと言えば「ホントに要るの?」
ということです。

これを割り出すには

・今の自分(現状)
・将来行きたいところ(理想・未来)
・そのギャップを埋めるもの(理想実現の仕方)

これをまず、明確にする必要があります。
その上で(2)対象物の精査 として
それが本当に理想実現に対して
役に立ちそうか?という点を検討します。

②観察・考察

これが見えてくると、なんせ貧乏なので

「いや、自分でできんじゃね?」

というDIY根性が出てきます。
なので、まずはその
良さそうな商品を観察できるだけ観察し
それを「要素分解」します。

どんな材料を使ってるの?
調達のルートは?
どういうインフラが前提?

その商品が謳っている
「成果」を手に入れるために
それがどんな条件を揃えていて
何を前提にしているか
、洗い出して行きます。

視点の持ち方、考え方とか
提供スタイルなんかも、逐一観察します。

ここで大事なのは
「即ジャッジ」しないこと。

「できる」「できない」とか
思った時点で「本当に?」と
もう一歩考える姿勢をお勧めします。

①の段階で、必要度が低いと判断すれば
もちろん即ジャッジ(「却下」)でいいんですが、
そうじゃないのなら
ここはかなり重要ポイントです。

これをやると、自分の現状と
商品がもたらしてくれそうな未来との
ギャップが、より具体的に見えてきます。

また、対象商品を観察することで
その欲しい結果を得るためには
「結局、これが必要」という本質、
原理原則の見当が付いてきます。

③自分でやってみる

さて、ここで検討商品が
明らかに必要であれば、
すぐに購入すればいいのです。

しかし、どうかな?という場合
次に考えるのは
「何かで代用できないだろうか?」
ということ。

これは、②のステップで
「原理原則」を探り出して行くと
見えて来ることがあります。

ネットリサーチも有効ですね。
「検討商品」が謳っている
使用材料 + 「どうやって」
みたいな検索で、結構情報が得られます。

言い方を変えれば、この時点で
前ステップから割り出した情報を元に
「仮説を立てる」のです。

〇〇という原理原則に基づけば
××を満たす資材があればいいから
△△(商品)の代わりに
◎◎を使ってみればいいのでは?

とかです。

そして、その仮説が合っているか
テストする、ということです。

テストすることによって
結果が出ます。

その結果が望ましいものであれば
もう商品購入の必要はないです。
おめでとうございます!

しかし、そうでなければ
次のステップに進みます。

④必要なヘルプは何か?を絞り込む

DIYでやってみて上手く行かなかった
原因を考えてみます。

その前に、該当商品の「条件」も
考察していましたね。

商品の「条件」と
自分のテスト時の「条件」において
違いは何だったでしょうか。

そこを補うには、どうすればいいでしょうか。

ここで万策尽きていたり、
代替案を補うにはお金出して
誰かのヘルプを得るのが得策、と思えば
それは投資価値があるでしょう。

お金は、欲しい結果を
早く、そして・あるいはより確実に
手に入れるために使うのです。

自分が欲しい結果をより早く
確実に手に入れるためには、
誰のヘルプを得ることで
より成功する確率が高まりそうか。

そこを見極めます。

⑤投資

で、投資です。

お金もそうですが、時間とか労力とか
全て資源ですので、
貧乏なわたしは何事も浪費しないよう
全力を尽くして検討した上で、投資します。


さて、すでにかなり長いんですが
実は本題はそこではなくて、まだ続きます。

実は、この行動5ステップを
考えてみた時に、
気づいたことがあるのです。

①情報収集
②観察・考察
③自分でやってみる
④必要なヘルプは何か?を絞り込む
⑤投資

この①と②の段階で
「感情」が影響してくると
その後が全部影響されるな、と。

この間の脳科学の先生
タケさんとの対談

こんな言葉があったんです。

「解釈が主観的になると、理論も主観的になる」

こちらで27:30辺りから、意識の話の中で出てきます)

これは本当にそうだと思います。
そして、何を「解釈」するかといえば
「情報」です。

すなわち、幾ら①で情報収集を
ガッツリやったとしても、
その解釈が主観的だと、その後の
観察、考察、仮説全てが主観的になります。

ということは?

何が「主観」を作るか

もちろん前提として、わたしたちは
どこまで行っても完全には
「主観ゼロ」にはなれないと思います。

しかし「客観性」すなわち
自分だけの視点を離れ、
広い視野を持てるように
努力することはできるんじゃないかと。

では、何が視野を狭くするかというと
「感情」です。

簡単な所で言えば、
感情的になっている人に
何を言っても駄目、とか
落ち着いてから話すべき、とか。

これは、感情に支配されている時は
「冷静な判断ができない」つまり
視野が狭くなっているからです。

ということで、わたしが思ったのは
「固定観念」という
主観に基づいた囚われから
自由になりたいと思うのであれば。

鍵は感情にあり

わたしが「オープンマインド」と
言っていただけるのは、
ほぼイコールで

「感情が上手く取り扱えている」

ということなのだろう、と
思った次第です。


そんなこんなを話したりもしてます:

こういう話も、そもそもは
「自己表現」「自立」「自活」「自由」の
「4つのJ」実現を目指そう、というのが発端です。

その4Jをテーマに
非公開でフェイスブックグループをやっています。
興味を持たれた方は、ぜひ
まずは遊びに来てみてくださいね。

4Jプロジェクト・アートしながら生きて行く

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