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大きな存在

あまりにも大きな存在で同じ世界に存在しているはずなのにその人と自分が話している姿が想像できない現象が人生に何度か訪れる。

芭蕉とも蕪村とも箱庭の人 鷹羽狩行


自分がもし箱庭を作るならどんなものになるだろう。という切り口。

涼し気な川に大きな橋を掛けよう。

箱庭の橋へ實と猿丸と 藤田ゆきまち

箱庭の大きな橋に小澤先生と猿丸先生がいる。
涼しげに何か話している。


大好きな先生方は時に山であり海であり谷であり川であり雲海である。
猿丸先生にオンライン句会で、先生は怒ったことはありますか?と質問したことがある。
もちろんありますよとおっしゃっていたが、全く想像がつかない。

小澤先生の柔らかに優しくお話される姿も、猿丸先生も私には雄大な大自然のようなのだ。
これは言葉にするならば愛だと思う。
箱庭も現代においては絶滅寸前季語かもしれない。箱庭の季語の本意を今を生きる私が解釈するならば無季語になってしまうかもしれないけれど、自分の大切にするものを最後に一つ置くことで箱庭の句としてどこにもない俳句になるのではないかと思う。

この話はもう少し深掘りして話していきたいと思っています。つづく

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