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かもだち

この小話は、神奈川の、ある公園に出没する、カルガモをこよなく愛する仲間、通称『かもだち』と、その公園に生息の、カルガモ親子に関する実話です。


「かもだち」の掟


一、公園での話題はカモ関連に限る

一、故に、互いの素性を尋ねてはならない

一、故に、互いは本名でなく、

「おじさん」(←たとえおじいさんであろうとも)、「お姉さん」(←たとえおばさん、おばあさんであろうとも)、「カモおじさん」、「カモ奥さん」、「カモ姉さん」、「カモ兄ちゃん」のように呼び合うのが流儀

一、かもだちの自宅を訪問するのも否

一、かもだちどうしのスキンシップもご法度

一、市の清掃対策等で、公園のカモらが困難な状況にある場合は、速やかに通報、丁寧に説明し、担当者の理解を求めるべし

一、カモになつかれて餌をやっている者を大目に見るべし

一、カモの天敵である猫に餌をやっている「ネコおばさん」を悪く言うのは控え、互いに共存の道を探るべし

一、カモの子どもを手づかみしてはならない


 と、まあ私が勝手につくった掟は、大方このようなものですが、仲間内の暗黙の了解で、掟は長きに渡り守られているようです。

 なぜ掟なんぞを作ったかというと、時たま掟破りが出現してしまうから。

 かもだちの自宅を探り当て、庭で収穫した作物などをお持ち下さったりと、容赦なく踏み込んで来られ、実は妻が不倫をしていて……などと、ほのぼのカモとはかけ離れた泥沼の家庭事情をいきなり話し出したり……。

 餌で子ガモをおびき寄せて、いきなり掴んで持ち上げてしまうような悪いおじいさんもいるのです。自分は二度も目撃しました。カモ母が怒ったのなんの! かもだちでなくても厳禁ですね! 当然、居合わせたかもだちからの(遠慮がちな)総攻撃もくらいましたが。

 こうした「悪いおじいさん」とは正反対の、「かもだちの鏡」と崇められている「良いおじいさま」が居られ、この方は本当に「カルガモ命」なのです。

 いつも朝に夕に、近所のスーパーで仕入れた「茹でうどん」を、カモの親子に与えています。    
 うどんは、かつては1回の餌やりで、1玉程度でしたが、カモ親子の依存が日常化したことと、おじいさんのおかげで公園に飛来、生息するカモが増えすぎたせいで、1回3玉は必要になったとか。朝夕なので、1日6玉も?
 雨でも槍でも、カモが待っている以上は参上せねばと、毎日餌やりを続けられ、カモたちは、彼の姿を見ると走り寄って来るのです。
 時おり、かもだちの心優しきご婦人が「餌代の足しになさって下さい」と、「かもだちの鏡おじいさん」に五百円玉をそっと(半ば無理矢理)握らせている場面も見られます。

 野生の鳥に餌をあげてはいけないのは常識とはいえ、長年に渡り、既に運命共同体となってしまった公園のカモと「鏡おじいさん」に限っては、公園を管理している市の側も、彼らの共存をやむなく認めてくれているようです。
 以前、公園の全ての箇所の池の水が、清掃の為と、いっぺんに抜かれてしまった折、かもだちの掟に従い、市役所に苦情の電話を申し入れ、担当者を涙ながらに説得した際に(嘘泣きではありません)、そんな事情も判明したのです。
 その時は、後からヒナが生まれた二番手の一家が、配慮のない一斉水抜きのせいで生じた縄張り争いに負けて公園から追い出され、消息不明(恐らく全滅)となってしまったのでした(涙)。

「鏡おじいさん」に話を戻しますが、この方の鏡ぶりは半端でなく、例えば、私が長らく公園に顔を見せず、しばらくぶりに会って、「実は旅に出てまして ……」と、掟を軽く破って事情を告げたとしても、社交辞令で「どちらへ?」、「どなたとご一緒に?」などと、一切、尋ねてこないのです。
 本当に関心がないのです。
 そして、不在の間のカモの様子を事細かに報告してくれるのです。

 その内の、微笑ましいエピソードをひとつ。

 鏡おじいさんが、うどんをちぎっては投げ、ちぎっては投げて、ヒナたちに与えていたら、飛んでくるうどんをキャッチしようとした一羽のヒナが、首を伸ばし過ぎて仰向けに倒れてしまったそう。カモ母は、おじいさんが我が子を突き倒したと勘違い、猛烈な剣幕で怒られたのだそうです。

 そんな話を、鏡おじいさんは身振り手振りも交えて一生懸命話してくれるので、自分はその場におらずとも、まるで居合わせたような記憶がいつしか宿っているほど。

 生まれたばかりの姿はもちろん、カルガモの赤ちゃんがあまりに可愛いすぎて、私もどうしても餌やりの誘惑に勝てず、ルール違反は承知の上で、公園に食パンを持参した前科がありました。
 その場でちぎっていては、公平に与えられないと考え、自宅で細かく刻んでいきました。内側の柔らかいところをカモ様に差し上げ、固めの耳の部分は人間(=自分)が食します。
 赤ちゃんたちがヒヨヒヨ鳴きながら、美味しそうにパンのかけらをパクつく様子があまりに愛おしく、味をしめて何度か与えているうちに、公園に私が姿を見せると、池から上がって走り寄って来てくれる程、なついてくれるようになりました。まさに胸キュンですね。本当は、もっと栄養価の高いものを与えるべきなのでしょうが、調べても良く分かりませんでした。そもそも餌を与えるべきではないのですし。
 なので、幸せはいっときの思い出として、ルール違反の餌やりは諦めようと決意したものの、駆け寄ってくれちゃったら申し訳ないと、帽子にサングラスで変装して公園に出かけてみましたら、何と、あっさり見破られてしまいました。
 カモさん方は、どうやって人間を見分けているのでしょう? 
 ごめんね~、何もないのよ~と、その時は逃げ去り、その後は「鏡おじいさん」が、うどんをあげている頃合いを見計らって、公園に顔を出すよう気をつけているうちに、哀しくもカモさん達からは忘れられた存在となりゆくことができました。

 子どもの頃から転勤族の家庭で育った上、転勤族と結婚してしまい、全国移動の人生で最長の、16年間もの歳月を過ごした地の近所の公園で、毎年カルガモの赤ちゃんが誕生していたことを知って以来3年あまり、楽しく幸せな「かもだち」(←当のカルガモさん方も含まれます)との交流が続きましたが、我が家の家庭事情により、今から3年前のことではありますが、いよいよこの土地を離れゆく時がやって来ました。

 息子は少し遠い勤め先に落ち着き、夫は岩手の高齢の母の近くに戻り、仕事は故郷で続けることになっており、私には選択の自由があり、岩手行きは免除してもらい(円満に)、同じく高齢の母が1人で暮らす埼玉に戻るか、母のことは同じ市内に住む姉と妹に任せて、神奈川の、この地に留まり、カモたちとの共存の道を歩むか……、真剣に迷いました。それほどまでに、カモの存在は大きかったのです。
 この界隈で1人暮らしをしているという、かもだちの青年に、掟を破り、家賃の相場なぞを尋ねたりも。
 その青年には「高齢の母親とカモを天秤にかけるんですかあ」と笑われました。思えば、彼との会話はそれが最後でした。話し込みすぎて、「大変だ! 携帯をドコモショップに預けたままだった! もうお店、閉まってる時間だ!」と走り去ってゆきました。お店、開けてもらえたでしょうかね? 
 
 結局、選択し切れずにいた私は、実家近くに良い物件が見つかったら、カモさんとお別れすることにしようと、試しに新居を探してみたら、ほぼ新築の、小さいながらも居心地の良さそうな、立地も完璧な部屋を見つけたので即決した次第。
 大荷物の殆どは実家に置かせてもらい、執筆や〈ピンセットローズ〉関連の道具や資料などを小部屋に持ち込み、書斎、もしくはアトリエと称して、人生初めての1人暮らしを満喫しています。
 そしてこちらでは、バーダーの義理の兄から近所の野鳥観察ルートを念入りに教えてもらい、たくさん覚えた野鳥の素敵な資料を自ら作って持ち歩き、神奈川に居た頃より、更に鳥が身近な存在となってしまいました。
 一番のお気に入りは、ユニークな「バン様」ですが、この鳥についてのお話は、またの機会に、ということで。

 ちなみに、「鏡おじいさん」とは、昨年、引越し以来初めて古巣を訪れた際に涙ながらの再会を果たし、案の定、私が引越しでこの地を離れたことを知らなかったようです。ですが、感激の再会だったこの時は、別れ際に掟破りの握手が自然と出てしまいました。
 カモの赤ちゃんも、ちょうど前日に生まれたばかりだったそう。そろそろ生まれる頃かと狙いを定めての来訪だったとはいえ、超ラッキーでした。

 そもそも、今回の「かもだち」の小話は、大量に存在している長短編の自作小説を大方公開し、執筆中の長編3作も書き終えてから、のんびり書き起こそうと目論んでおりましたのに、今のうちに書いておくべきか、という気になったのは、先日、1年ぶりに神奈川の古巣の公園を訪れた際、またまた偶然に再会した「鏡おじいさん」から、「カモお母さん」の訃報を告げられたのがきっかけでした。

 おじいさんによると、つい最近、目の前であっという間に猫に襲われてしまったのだそうです。自分だけなら逃げ切れたでしょうに、とっさにヒナたちを逃がして、自分は覚悟を決めて犠牲になったと。毎年この公園で赤ちゃんを産んで、たった一羽で子育てを何年も続けてきたスーパー母ちゃんだったんですよ、と涙ながらに語られました。
 聞いているこちらも涙、涙です。
 残されたヒナ4羽は互いに仲良く寄り添って、健気に生き抜いており、毎朝の「かもだち」どうしの挨拶は、「4羽?」、「うん、4羽!」、全員ちゃんと居るよと、数を教え合い、ほっと安心するのが習慣となっているそうです。

 まずは、発表中の『額縁三部作』最終話、「額縁幻想」の公開を終えて、ひと区切りついてから「かもだち」の思い出を語ろうと計画し、「額縁~」第一話の投稿予約も入れてあったのですが、Google フォト からランダムで届く、「あの頃の思い出」の写真に、在りし日のカルガモ親子の姿がふと、スマホ画面に現れたのです。
 改めてしんみりしてしまいました。
 というわけで小説は次週に回すことにして、今こそ書いておこうと、先ほど急に思い立って綴った、つたない内容ではありますが、「スーパーお母さん」の冥福を心から祈りつつ、「かもだち」の1人として、この記事を捧げたいと思います。





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