[下書き] 杉村くん 第13話 ~クルドくん~
現在は、以前のブログで描いたイラクに住む友人についての漫画を描いています。…が!どういうわけか導入は、なぞの女の子が裸でいるページです。
この子がイラクに住んでいる友達というわけではありません。しかし後半になって意外な関係性が出てくるのです。どんなお話になるのか楽しみにしていてください!
私の漫画はエッチな漫画というわけではないし、現代は服装もぶかぶかめの人が多いので、最近は人体のラインを意識して描くことが少ないです。デフォルメの強い絵柄なのでなおさらです。なので実は今回ちょっと裸を描くだけで大変でした。全然うまく描けないのです。なぜかというと、裸はぶかぶかの服でごまかせないからです。そしてデフォルメされていると頭だけ大きくなって変…というかプロポーションに整合性がとれなくなるのです。
20代の頃、少女漫画ぽい漫画を描いていた頃はよくヌードポーズ集を使ってクロッキーをしていました。
ポーズ集の写真を見ながら、1体5分くらいで、多少間違っていてもいいので、消しゴムとかも使わないでとにかくたくさん描くのです。例えばバイトで家を出なくちゃいけない30分前に描き始めて、6体描けるかタイムアタックをするのです。すると脳がいい感じに過活動して、自然に描き方とスピードが身に付くようになっていきました。これは美大の受験のときに教わりました。その時は実際に教室にモデルが呼ばれて、画材は筆ペンで新聞紙に描き、ストップウォッチで時間を計って、時間が来たら強制終了というやりかたでした。細かいところをきちんとという考えにとらわれないようにということだったんだと思います。描くときも手元はあまり見ずにモデルを8割手元は2割くらいの配分でした。目で見たままを描くということです。以前に描いた漫画でも少し触れました。
慣れてきたら今度は漫画用に、こんなふうにファッション雑誌の写真を見ながら、漫画っぽさを意識して描くようにしました。(これらの絵自体はPCに残っていたもので、比較的最近のものです)
これも一体10分~15分でささっと描きます。描くというか手を自動で動かす感じです。実際の人間より漫画はスタイルを良く描くことが多いです。軽くデフォルメするということです。具体的には頭を小さく足を長く体を細くです。一番練習していた頃、2000年代はギャルファッションが流行っていて、体のラインも出る服だったので、人体のラインを描く良い練習にもなっていたと思います。そして「女の子を可愛く描ける」はほぼ全てのジャンルで有利になるので、女の子の練習を多めにしていました。少女漫画は女の子の話ですし、男性向けの場合も女の子キャラが何かしらのモチベーションになる話が多いことが理由です。
そしてそこからさらにデフォルメをして、漫画の絵にします。(これも、当時のは残っていないので結構最近のものです)
その際はデッサンが崩れないように比率で描いていました。たぶん多くの漫画家もやっていたことだと思います。
という具合のことを20代~30代にかけて、漫画の絵に関してやっていたのです。…が、これが結構疲れるのです!その理由は、絵に「正解」が発生してしまうからなんです。どういうことかというと、実際の人間をもとにして練習すればするほど、そこから外れた絵を描くと「イラッ」ときてしまうんですよね。ちょっと足の向きが不自然だと「足はこんなふうに曲がらないよなー」となって自分の足を大きい鏡でチェックしたり、一時期は友達や彼女に全部のコマのポーズをとってもらって、それを見ながら描いていました。凝り症な性格のせいもあるかもしれません。しかも、実はそもそもが絵がそんなに上手でなくて、編集者に「デッサンが狂ってるなー」ともよく言われてて、さらに美大に受からなかったコンプレックスもあったので、ほぼ全部の期間どうしたものか困っていました。辞めようとは思いませんでしたが、自分はいわゆる絵で売る作家にはなれないんだろうなーと感じていました。
それからいろいろあって何年か漫画から離れてて、2017年からまた描き始めました。その一発目がこれです。元旦に見た初夢を漫画にしました。
漫画で生活するのを諦めたら、自分的に疲れる描き方にもこだわらなくなりました。手足も変な方向に曲がってたり、比率がめちゃくちゃでも気にしません。「絵が負担になる」を極力無くしたのです。ちょっと前に流行ってた「アドベンチャータイム」もその系統かもしれません。シュールでいい味が出てますよね。(漫画でなくてアニメですが)
そもそも漫画はお話を描く(読む)もので、絵そのものが主役ではないんですよね。もちろん絵で表現するものですが、その絵は「ちゃんとしてる」よりも「おもしろい」ほうが良いわけです。逆に話は「ちゃんとしてる」ほうが読みやすくて良いです(起承転結とか序破急とか)。たぶん自分は目標を持って絵を描くことの始まりが美大受験だったために勘違いして「ちゃんと描く」にこだわっていたんだと思います。そこに気づいたら、漫画の表現のしかたが広がりました。絵に内容がひっぱられなくなったのです。↑↑で「女の子を可愛く描けると有利」と書きましたが、それは逆に言うと「女の子の可愛さを活かさないといけない」ともなるのです。例えばこんなふうに可愛い絵で勝負しようとしたとします。
でもその絵だとこういう漫画は絶対に描けないのです。
正確には、物理的に描くことは可能ですが、なんかノリ的に「風俗求人」とか「はーつまんねー。かったりー。」みたいな発想が出て来づらいのです。出てこないし読者的にも絵と内容が合っていないと読んでいて面白くありません。なので、絵柄が自由になったら発想も自由になりました。そもそも「少女漫画ぽい漫画」とか言ってる時点で漫画を参考にした漫画を描いてしまっているのです。自分の考えていることを漫画にするわけですから、参考にするのは漫画じゃなくて自分自身であるべきですよね。
そして不思議なことに、絵にこだわらなくなった最近のほうが「絵が可愛い」「絵柄が好き」というコメントを多くもらうようになりました。可愛いとか好まれるというのはやはり、それが技術的にどうかじゃなくて、描いてる本人が楽しんでいるという空気感による「好感」のほうが大きい気がするのです。やっぱり苦しんで描いているとなんだか重苦しい空気感が出てそれが受け手にも伝わってしまいます。闇金ウシジマくんみたいな漫画であればそれがピッタリ合いますが。
今回描いている漫画では最後のほうにこういうコマがあります。真ん中にいるのがイラクに住む友人です。クルド人という民族です。
左側にいるメガネをかけた人は、私の友人です。しかし去年急死してしまいました。彼は海外に住んで仕事をしていた人で、英語ができます。私が現在海外向けに漫画を描いたり海外の人と遊ぶようになったきっかけになった人です。コロナの影響もあって、最後に実際に会ったのはさらにその1年前、フランスから友人たちが来日したときの浅草でした。その友人の一人、セデトちゃんという女性は日本の漫画やアニメが大好きで、自分もすごくインスピレーションを受けました。
彼が急死してしまったのはちょうど知り合ってから10年目の不幸でした。大人になってから仲良い友人ができることはなかなかないといいます。その数少ない一人でした。亡くなる2日前にも全く普通のメールをしており、ちょっと具合が悪そうでしたが全く(おそらく本人も)予想できなかったことでした。ちょうど50歳で、私の5歳年上です。50歳で急死は全然あることなのです。妻の父親も数年前、突然54歳で倒れ、55歳で急死してしまいました。私達で介護もしていました。倒れる当日の昼まで全く普通に仕事もしていました。55歳で急死も全然あるのです。
自分がしつこく漫画を描いているのは、いつか自分にもそういう日が来るまで、自分がここにいましたよと言い残したいんだと思います。保育園の頃、エネルギーが低くて周りのちびっこになじめなかった時から、何だか自分が今ここに存在する感覚が薄いんだと思います。体調も優れない日が多くなりましたし、モタモタしてると何も残せないまま自分もログアウトしてしまうなあ…みたいに考える時間も惜しんで、空いた時間に何かしら描いています。そのイラクに住む友人に漫画の下書きを送ったら「Hahaha yoooo I look great!!」と、すごく喜んでいました。メールの文面を見るだけでこちらもニコニコしてしまいます。ウンウン悩みながら5分ヌードポーズクロッキーを繰り返していたのも、こういう時のためだったのかもしれませんね。引き続きコツコツやっていきます。