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【ひとりごと】漫才で盛り上がれる平和な世の中が一番いい

昨日は、年に1回のお笑いのお祭りM-1グランプリでしたね。視聴された方はお疲れさまでした。私は笑いすぎと緊張しすぎで毎回終わる頃には疲れ切っています。今年は、見取り図が推しだったので、見取り図耐えてぇぇぇお願いぃぃぃとひたすら祈り、終わった後は見取り図ぅぅぅと絶叫しておりました。本当に疲れた。

お分かりいただけると思いますが、私はそこそこのお笑い好きです。めちゃくちゃ詳しくはないですが、もうかれこれ20年は関西人をしておりますので、新喜劇やら漫才やらは結構見ているほうだと思います。関西ローカルにしか出てない好きな芸人さんもいるので、親戚の人のように応援をしてしまうところがあります。だからM-1を見るだけの視聴者なのに無駄に気合が入り疲れてしまうんですね。もう少し余裕をもって見てみたいものです。

今年のM-1は、先に言っておくと好みじゃないコンビの方が多かったので、私にとっては少し眉をひそめる結果でした。でも、それはあくまでも私の好みのお話なので、これから書くことについてはそんなことを思う人もいるんだなぁのスタンスで読んでいただけると幸いです。異論は認めますが誹謗中傷は受け付けません。

今年は、全然笑えないコンビが一つもなかったのでそういう意味ではレベルは高かったのかなと思ったりはします。ただ、コロナのせいでいろんな影響もあったと思うし、なにより、去年のあの大接戦でハードルがとても上がっていたようだったので、思っている以上にしんどかったんじゃないかなとも思います。かく言う私も、しゃべくり漫才を期待していた1人です。

まぁ、まず前提の話として、私がthe王道みたいな漫才が好きなんですよね。しゃべくり漫才はもちろん好きですし、和牛やサンドウィッチマンがやってるようなコント漫才も好きです。最近、コント漫才は漫才じゃないみたいな論争をよく聞くので、「ほな、練習するから〇〇やってや」みたいなくだりになると、あぁコント漫才か、とはなってしまいますが結局面白いので好きです。コント漫才ってそりゃコントでもできるんだろうけど、漫才のときってボケたらツッコんで、そのコントの役じゃない時間があるじゃないですか。あれが漫才の魅力だと思うんですよね。だからいいじゃんと思うわけです。でも、漫才である以上しゃべって掛け合ってほしいなとは思ってて、動きで笑わせてくれるのももちろんいいんだけど、そこにもしゃべりは入れてほしいんですよね。
だから、今回の結果に関しては眉をひそめた訳です。うん。

でも、今回の決勝の笑いの量を考えたらマジカルラブリーだったとは思うんですね。家族で見ていた雪乃家の空気は見取り図が優勝だったし、ネットの意見も割れていたけど、スタジオだけで考えたら一番ウケていたのはマジカルラブリーだったなと感じたのです。あのスタジオで一番面白いコンビがチャンピオン。それならマジカルラブリーが優勝で間違ってなかったと思っています。
毎年毎年M-1が終わると、漫才とは論争が始まるのですが、これっていつも不毛な議論だなと思うんですね。時代が変わるように漫才の形も変わるんです。今の王道と呼ばれるしゃべくり漫才だってエンタツアチャコがやっていた頃は邪道と言われていたわけですから。そりゃもう令和なんだから新しい漫才も生まれるよねって話です。まぁ、それを受け入れられるかはわかりませんが。受け入れもせずに、漫才じゃないの一言で跳ね返すのは違うかなと。受け入れられたら素直に笑って、受け入れられなかったら好みじゃないなと、心の中でそっと思っていたらいいと思います。平和が1番です。

と、今日1日やっぱり優勝は見取り図がよかったよおおおとグダグダ言っている私を納得させるため、だらだらとM-1を見て思ったことを自戒も込めて書いてみました。本当漫才って奥が深いですね。改めて皆様お疲れさまでした。

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