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そして私は旅をやめない

初めて私が「沈没」した町が、タイにある。
ラオスをメコン川の向こうにのぞむ北部の町で、チェンコーンという。
窓どころかドアまで開けっぱなしにひた走るローカルバスに3時間揺られた先にある小さな町だ。


私はそのときベトナム・カンボジア・タイ・ラオスを巡る旅の途中。チェンコーンへの滞在は予定では一泊で、翌日には次の町へ向かうはずだった。
なのになぜだろう。バスを降りた瞬間から、「あぁ、私、ここにしばらく居るだろうな。」と思った。


私が転がり込んだのは、パパイヤヴィレッジという、日本から来たひろこさんと、ラオスから来たシンさんのご夫妻と娘のようこちゃん、ももちゃんで営むゲストハウス。薬草サウナも併設されている。


ワイルドなご家族だ。自分を刺したサソリを食べる。猫が朝に獲ってきたもぐらは、昼にラープになって帰ってきた。ひろこさんはラオスの民族村に布を買いに行って、それで家族の服や鞄やアクセサリーを作る。
宿舎になっている建物はぜんぶシンさんとその仲間たちが土台から作っている。建てるたびにどんどん上手になるから、どういう順番で建設されたかがわかっておもしろい。
そして娘さん2人はそれぞれ宿とサウナの看板娘である。
そして滞在する人間は、犬や猫たちと食事を奪い合う。


そんな素敵なファミリーだから、集まってくる旅人も、少し変わった楽しい人たちばかりだった。

旅人にはもちろん、チェンコーンの人たちにも愛されている。

近くの食堂のおばちゃんは、顔を見るといつも声をかけてくれた。
ソムタム屋のお姉さんは、一からソムタムを作るところを見せてくれた。唐辛子が苦手だから一本だけにしてくれと言ったはずなのに、一本は一本でもとんでもなく大きなのを入れてくれた。
おばあちゃんが手招きして私を呼ぶ。隣に座って暮れていく夕日をいっしょに見た。


みんな、言葉なんて通じなかったけれど、それが逆に心地良くもあった。

気づけば時間が流れていて、私は3回もひろこさんに宿泊延長をお願いしていた。

はじめて、自分の家以外の場所でこんなに長い時間を過ごした。
最後はみんながバスの乗り場まで見送りに来てくれて、さよならをした。
とにかく新しいものを見たくてひとところに留まっていられない私だ。次の場所へのわくわくと、まだここに居たいという寂しさが、天秤の上で釣り合ったのは初めてのことだった。

「また会おうね!!」

この言葉を本気で信じていたからこそ、私は次に向かうことができた。

その言葉が、日本に帰ってきて、こんな形で、こんなに力を持つ日が来るなんて。

飛行機で席が隣だったというだけで、宿の玄関まで送り届けてくれたベトナムの家族。
日が暮れるまで遊びの輪に混ぜてくれたカンボジアの子どもたち。
「次来るときもうちに来てよ」と連絡先とお土産をくれたタイのゲストハウスのスタッフさん。
「ご飯を食べるから出発が遅れる」というなんじゃそりゃあな理由でバスを待つ羽目になった私に「じゃあ俺たちは飲んじゃおう!」と仕事中にも関わらずいっしょに呑んでくれたラオスのツアーガイドさん。

私には、あの旅の中でまた会おうと約束した人がこんなにいる。

世界が変わっても、それが私を私でいさせてくれている。あのあたたかい時間を思い出せば、耐えられないものも耐えられる気がする。バックパックいっぱいに詰めてもらってきた思い出は、こんなところでも輝くのだ。

だからこそ私はこの一年を「何もできなかった嫌な一年」にする気はない。
コロナは私に「自由に生きていられる喜び」を、これ以上なくストレートに教えた、そう思っている。

次に旅に出るとき、私は本当の意味での「旅をする喜び」を知っているのだから。

私は私と約束する。

今度こそ、1年以上かけて世界中を旅する。
出発点はタイのチェンコーン。ひろこさんに思いっきり手を振りながら駆け寄って、きっとあのときより大きくなったようこちゃんとももちゃんをぎゅーっと抱きしめて「また来たよ!!」って言うんだ。だから。
「#私たちは旅をやめられない」

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