僕の野球部ヒストリー

「小学校1年生から高校3年生まで12年間野球をやっていました。」

これが僕の鉄板自己紹介です。よくよく考えてみれば大して売りにもならない文句だと思います。それでも学生時代で人に言えるものなんてそれくらいしかありませんでした。小学校の頃は夢はプロ野球選手ですなって言っていたのも恥ずかしい思い出です。

何で野球を続けていたのか、多分好きだったんだと思います。多分というのは、高校を卒業してプロ野球を見行くこともなくなったし、今のところ草野球でやっているということもない。なんとなくニュースで巨人勝ったなーとか、そのくらい。それでも続けていて、試合に勝つこと、ヒットが打てること、いい守備ができること、そういったことに満足感を得ていたのだろうと思います。

僕は埼玉の公立高校に通っていました。高校で言えば埼玉なら、浦和学院、花咲徳栄といったところでしょうか。私立、もちろん私立が強い。我々公立高校が勝つためには圧倒的な努力や運が必要でしょう。そんな中、公立高校の希望は21世紀枠。21世紀枠とは、大会である程度の成績を残すことも大事だが、学業など様々な点が考慮され選抜されます。一応進学校と呼ばれる高校だったので、学業と部活の両立、いわゆる文武両道で評価してもらえれば不可能ではなかったですが、結果的に甲子園に行くことはできませんでした。

公立高校の野球部の練習とはどんなものか。

バリバリの私立くらい、とまではいかないかもしれませんが、かなり真剣に取り組んでいました。野球部あるあるだと思いますが、各休み時間にはおにぎりを食べる。(もちろん長休みには通常の弁当も)最後の授業が終わった後は、走って部室まで行く。とにかく準備時間を短くする。進学校だと家での勉強時間を取るために帰宅時間が設定されていたため、練習するのは約3時間ほど。短い時間を有効に使うためにはそうするべきだったのです。幸いなことに僕の高校は公立ながらナイター施設付きの野球場があり、暗くなっても練習することができました。ウエイトトレーニング施設もあり、バッティング班、守備班、ウエイト班のように分かれて練習することもありました。

ここまで聞けば効率的によく練習している、ような感じがします。いや多分そうだったと思います。文章とは怖いもので、書いてしまえばそれまで、それをこなす辛さがあまり伝わっていないように感じてしました。もっと文章力が高ければなあ。

野球部にも辛いことってたくさんあるんです。

まず春。

一年として入部したては、ひたすら走る。走る。走る。部員が1~3年生合わせて100人ほどいたので、練習スペースを探すので精一杯。特に名物だったのが階段走。校舎の階段をひたすら上り下りするだけ。案の定足を怪我する人も多く、この私もシンスプリントというスネの怪我をしてしまいました。今でもたまに痛んだりします。

ただの地獄の夏。

暑い、ひたすら暑い。野球のグラウンドの土は熱を持ちやすく、体感温度40度くらいじゃないかと思うくらいでした。その中を泥だらけになり練習をする。夏休みなんて時間がありまくるので走り放題で毎日死にそうでした。

希望の秋。

夏の暑さが落ち着いて、運動もしやすい気候。大会に向けて実践的な練習が多いです。夏から考えれば楽なようですが、きついものはきついんです。

忍耐の冬。

夏と双璧をなす地獄。プレーがしづらい分、思考を凝らしたランニングメニューが豊富。野球をしたとしても硬球を取るときに手が痛い、詰まった時の手が痛い。

今でも覚えているのが、学校の周りを走る外周。1週約1kmを10週なので約10km。何でやるのか監督に聞いたら、「思い出づくり」とおっしゃっていました。今の知識量なら無駄なランニングメニューは逆に筋肉を落としますよ、ハードワークすぎて怪我しますよ、と言ってやりたい。案の定ともいうべきか、そこまで体の強くなかった僕は3年生の時に左ふくらはぎを怪我してまともに走れない状態でプレーしていました。いい思い出といえばそうなのでしょうか。


辛いことだらけの部活でも、楽しかったことももちろんあります。

部活動帰りにみんなで立ち寄る駄菓子屋のようなお店。アイスやカップ麺を食べて1日を労うのです。帰りアイス食べよう、そんなことを思って乗り切ったこともしばしばでした。

大観衆の応援。これも強く心に残っています。僕の高校は100年くらいの伝統があり、OBの人の応援がとても熱心で有名でした。よく甲子園で流れるような応援歌がありますが、僕の高校はオリジナルの応援歌があり、スタンド一帯で聞こえてくる熱量は普通に暮らしていたら味わえないであろう体験です。

僕が野球部で一番得たなと思えていることが、「やりきること」だと思います。最後まで走りきる、力を出し切る。持久力はあまりありませんでしたが、ギブアップはしない。自分てこういうことができる人間なんだと思えた瞬間でもありました。

今考えると、よくあんな厳しいことをやっていたなと思います。

あの頃のように今も頑張れているだろうか、そうではない気がします。

プロフィールで特に有利なわけではない、プロ級の実力があるわけではない。  でも、あの時を無駄な時間にはしたくないなとも思います。

もう一度高校に戻ったら、軽音楽部とかやってみたいですね。楽器できる人ってモテるでしょ。。

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