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日記2024/1/30

日記2024/1/30


JR新宿駅南口


東南口のFlagsビル

小田急線に乗って新宿に行く。12時過ぎに着いて、そのままJR東南口にあるFlagsビルにあるタワーレコードに向かう。以前4フロアあったのが縮小されて、今は9階、10階の2フロアである。ビル自体もUNIQLO・GUが数フロア占めていてよく通っていた頃とは様相がちがう。そのままざっと9、10階のフロアを一周する。 9階の売り場のエスカレーターから入った直ぐの場所にチバユウスケさんのコーナーがある。

以前は特設だった店内ライブ等を行うイベントコーナーも大きく常設になっている。アナログ盤を扱うコーナーが大々的にあり、壁にもずらっと面陳してある。一番目立つところに結束バンドの1stのアナログが置いてある。レコードプレイヤーが壊れている状態ではあるが気になり値段を見ると、二枚組で¥6,600…買えないな…と呟きながら棚に戻す。結構な枚数の在庫があったので売れているのだろう。
00年代や10年代にしょっ中訪れてお世話になったノイズ・アヴァンギャルド・エレクトロニカ・電子音楽・現代音楽・実験音楽を扱っていたニューエイジのコーナーが1/20(体感)位に縮小されていて端っこの方の棚に追いやられていて悲しい。舐めるように棚をみていたあの頃のスタッフの皆さんは元気だろうか(一人は昨年フェスの会場で偶然会い元気そうであった)? 以前ニューエイジがあった場所はアイドルのコーナーになっていた。フロア全体、KーPOP・アイドル、アニメコンテンツの割合が高い。アナログやアイドル系コンテンツや物販・イベント等CDだけではなく多角な経営方針がフロアから伺える。以前『嫌オタク流』(2006)という本が出版されたが一種の文化闘争の発露だったのだろうと、今読み返してみたくなる。フロアに結束バンドの個別特集売場があり立て看が置いてある。

ぼっちちゃん、、、

それ自体には嬉しさはあるが、Spotifyで結束0.5%上位リスナーな身でありながらCDもアナログも所有していないことに罪悪感が湧き、複雑な気持ちになる(マンガは買ってます)。大きく解放されたビルの窓に結束のメンバーの特設看板があり、写真など撮り何も買わずにトボトボと階段を下りる。

やっぱぼっちちゃん推すわ

ビルの目の前の古い定食屋は今も変わらずそこにそのままある。御苑の方角に向かい壁のグラフィティや風景などを写真に撮りながら、甲州街道沿いのファミマで昼食用のおにぎり(一個)を買いポケットに突っ込む。

ね む い

歩きながら思考していると先ほどのフロアにいた時の気持ちが増幅されてきて無性にやりきれない程の悲しみが襲って来たので半ばヤケクソな気持ちになり歌舞伎町と大久保公園に行きめちゃくちゃ写真を撮ってボコボコに殴られようと思い向かうが立ちションしている人以外は割と平和で特に収穫なし(この文読点もなし)。

しかしホストってアイドルですね。昨今、韓流が世界の覇権を握っているけれど、
ジャ◯ーズがああなってしまった以上、更なるホスト戦国時代が来るのではないか?
ゴッサムシティばりの歌舞伎町タワー
大久保公園

東横のキッズがたむろしないように設置された木材とブルーシートを撮る。その横に数名キッズたちは居た。


さまよって既に疲れた。しかし、明治神宮まで行こうと思い明治通りをひたすらに歩く。新しい立派なビルや開発前に整地された道路や土地を眺めながら、日本、都心は特にだがスクラップ&ビルドのスピードが速いのだろうと感じる。そういった言説だけではなく、生きる年月がます程に実感として分かるようになる。以前見た風景は忘れない方である。様変わりというよりは道路に沿ってポコポコと継続して変化している感じもするが、オリンピック時に大幅に変化した部分もあるだろう。東京は資本の投下がすごいな…と素朴に感じる。地震や災害による変化が激しい国だと思う一方で、そこにはお金の動きも強い。そんな中で、道路を跨ぐ高速道路や線路の架橋は下から見てておもしろい。鉄骨やトンネルは時代の経過を感じる劣化性を身に纏っていて歴史を感じられる。


歩きながら明治通り沿いでもバシャバシャ撮影し、今日も撮り過ぎだ一銭の金にもならないし褒められもしないのに何をやっているのだろう…と深く落ち込む。


線路沿いから少し傾斜を登り明治神宮の裏手の鳥居から敷地に入る。こちらから来る観光客は皆無なので、誰もいない広い参道を緑の背の高い木々に囲まれながら清涼で静かな空気に癒され多少気持ちも落ち着く。当時の植物学者が投入された広葉樹主体の人工の森・雑木林ではあるが、人間が作った森がここまで大規模に都心の中で継続して残っていることは単純に言って凄い。耳を澄ますと動物が動いている気配がそこかしこでする。

メインの社殿も広いスペースが取られ多くの人がこの場にいるけれど、静かで落ち着く感じがする。参拝者の多くは観光客の国外の人々である。様々な国籍の人間が特に争うことなく今という現実のこの場では併存している。森の成り立ちや国家・神道に対する人々の思いはさまざまなグラデーションだとは思うけれど、資本に開放すれば直ぐ様に樹々は伐採されて住宅か商業地に変わってしまった(しまう)かもしれない。今はどこが主体で管轄しているのだろうか。まあ私がこの世からいなくなる時にもこの状態は継続しているだろうなとは思う一方で、この森の未来の姿はとても気になる。

anti human snapshot 1


流石に歩き疲れたので代々木公園で一休み。売店でホットの紅茶を買いぶらつく。大戦後、米軍接収の末に解放された経緯もあり、こちらも都心ながら広大な敷地で渋谷原宿の雑踏に比べると人口密度も低く気持ちいい(凡ゆるものは結局は他力なのだ)。ランニングやダンス、何かのロケ、ギターの練習、散歩し語らい寝転ぶ人々。見た目平和である。

大して寒くもないので、池の脇のベンチに座りおにぎりを食べる。東京や渋谷や文化や商業の中心や言っても歩ける範囲でこんな公園があるのならその点では生活しやすいだろう。近くに立派な新築タワマンも建っている。この世の沙汰も金次第だなとつくづく感じる。池の噴水から落ちる水が作る波紋のアウラが凄い。低い冬の日差しに照らされる木々が美しく光る。思わず写真も撮ってしまう。結局公園でも散々撮り何をしたいのか自分でも分からなくなる。


歩いて原宿へ。明治神宮の正面に出口が接する新しい原宿駅がかつての瀟酒でポエティックなデザインから単なる箱になってしまっていて無惨だった。便利ならいいのか?  通り道に竹下通りがあり、仕方なく抜ける。ここは若者と観光客でごった返している。鎌倉の小町通をもっとファンシーにした感じ。クレープ屋に長蛇の列が出来ていていつの時代もフォーエバーだ。なんとか潜り抜けて裏原宿などを軽く散策。平日だからかあまり人通りもなく空き店舗も目立つ。特に用はないので一周して明治通りに出て渋谷中央図書館に行くが、読もうと思っていた(千葉氏の短編所収)『文学界』が何故か置いていない。『新潮』、『群像』も『文藝』もあるのに謎である。で『新潮』(2024年2月号)を手に取り浅田彰(インタビュー)「アイデンティティ・ポリティクスを超えて」を読み、終わり部分のクィアに対する見解にうなづく。続けて『文藝』(2024年春季号)所収の、児玉雨子「跳べないならせめて立て」、羽田圭介「バックミラー」、いとうせいこう「東北モノローグ 福島 a folklorist」を読む。「跳べないなら」は筋肉や体型を科学的な視野をジェンダーや出生に文学として絡めていく文が読んだことのない感触がして見事だった。芥川賞候補の基準は知らないがもうこの小説が来季の芥川賞でいいと個人的には感じた。「バックミラー」は落ち目のミュージシャンがストーカーに対する自問自答を繰り返す描写が私は追いかけられたことはない一方で追いかける心理ならなんとなく分かるので身につまされた。描かれる特段に大きな主張や個性のない市井の人物の日常の行動や心理や言葉の描写に文学としてリアリティがあった。「東北モノローグ」は語りや身近でその人物に触れることで、継承やまた記述(民話、文学)として残っていくものがあり、昨今の能登地震での移住に対する世の中の見解と照らし合わせて考えると深く染み込んでくる。簡単に住まう人々が居が移せると考える人は代々含めて長年過ごしたそこ(土地)で失われるものや言葉への想像力を働かせるべきだと思わせる深度がある。続けて『ミュージック・マガジン』(2023年6月号)を読むもタイムリミットでTOWA TEI氏のインタビューのみ。

明治通りを渋谷方面へ。道路ぞいに靴屋が多いのは理由があるのだろうか? マイケル・ジョーダン例のマークを掲げたお店か会社があったけれどNIKEなのだろうか、などと呟きながら相変わらず写真を撮りまくる。キラキラ光る街は綺麗ですね、と自分の境遇が照らされて半分皮肉に思う。

渋谷方面に折れて、タワーレコードの渋谷店へ向かう。昼に新宿店で感情が揺さぶられたので行くのはもうよそうと思ったが、折角なので覗いてみる。

フロアの構成として自社ビルなのもあると思うけれどK-POPやアイドル・アニメ・ゲームを独立フロアにとるゆとりと自由な感じが新宿店よりはする。クラシックやジャズは充実した棚揃えに見えた。吉村弘氏の昨年買った新品のCDがかなり高価で売られていて? と(輸入盤ですね。今は寧ろ円安で高い)。ニューエイジのコーナーは新宿店同様片隅にアンビエントという括りの脇にちょこっとある。アンビエントの方がジャンルの括りとして大きく感じる。アンビエントの横にニューエイジ・ヒーリングコーナーがあり、その横に現代音楽コーナーもひっそりとある。クラシックの充実ぶりと比べるとなかなかの格差が売り上げとしてあるのだな、と現実を知る。沸々と込み上げる悲しみを振り切ってヴァイナル売り場の階に行くと、ここは気持ちがアガるフロア作りだった。広いスペースに新譜中古が売られている。nujabes が推しで大々的に売られていて、今再評価されているのかなと。アナログレコード人気も完全に世代にも定着したのか。レトロブームもあるだろうけれど、矢張り楽しいよ物として掘るのは。見た目国外のお客さんも多い。シティポップだけではなく古い日本の歌謡曲を掘るのも愉しいだろう。渋谷店は2月にリニューアルしてヴァイナルの階を完全に独立フロアに新装するらしく、その際にクラシックの階も独立階にするらしい。今、物として何が売れているのかが分かりますね。店内放送が大きなアルテックのスピーカーで鳴らされていて大音量が気持ちよく、スピーカーの前で生きる悲しみをしばし癒す。スピーカーに張り付いたあやしい人物が防犯カメラに写っていたらそれは私ですので気にしないでください。しかしアルテックを体感するとやっぱりいつか買わなきゃな…と思わせる音の強度がありますよ。これでアナログ聴いたら最高だろうな、それは。古い物の良さもある。

anti human snapshot 4

タワレコを出てパルコ方面に向かい、グッチの看板など相変わらず写真に収める。夜はネオンが映えてくる。坂を上がったり下がったり、渋谷は高低差があり、この辺りは川だったろうな、とか太古の世界を『アースダイバー』のように感じながら歩くと愉しい。先日細田守『バケモノの子』を観たばかりなのでWWWのあたりで熊徹の家この辺だよなとか言いながら歩く。この前は気付かなかったけれどAPEの店舗もあり若者が沢山店内にいた。そのまま坂を下って、主人公の九太が異世界(渋天街)に入り込んだビルとビルの合間ここだな? とか一人で呟きながらいつものファミマに行き、イートインでサントリーのクラフト系ビールを飲みながらおにぎり(一個)を夕飯として食す。

既にリミットの20時を過ぎていて、店員さんに申し訳なさそうに時間切れを告げられて外に出る。

そのまま、また坂を上がり、NHK方面へ。確か『武蔵野』の頃の国木田独歩はこの辺りに住んでいたと赤坂憲雄『武蔵野をよむ』に書いてあったっけ。NHKの敷地内辺りが工事中なので警備員さんに「なんの工事ですか?」とバカなことを聞くが知らないとのこと。『バケモノの子』聖地巡礼として相応しい夜のNHKの横の並木道。人が全然いないよ。丹下建築最高、と言いながら夜のシルエットの体育館を撮りまくる。こんな建築はもうこの国では二度と作れまい、記録に残しておくよ(ここまで全て皮肉)。出来れば最期の力を振り絞ってザハさんの建物も建てて欲しかった。

モノリスのようで、また宇宙船のようでもあり、今にも旅立ちそうな気配がする建物

アイドル系のコンサートをやっているのか中から大音響の名残の女性Vo. が漏れてくる。


またタワレコ方面に戻り、さらに明治通りを越えて青山方面へ。

シアターイメージフォーラムにシー・チェン『鶏の墳丘』を観に行く。今日はこの為に来京した。開場時間まで10分くらいあったので外に出ると壁面に特集上映中のドライヤーの当時ものポスター(の再印刷)が貼られていた。

以前アテネ・フランセで(フィルムだろう)観た『奇跡』が最高に感銘を受けた映画だったので思い出して気分がアガる。
『鶏の墳丘』は思ったよりも「映画」だなと感じ古典的な風格さえあり約90分があっという間だった。生身の人類が全て滅び去った後の地球で繰り広げられる光景を俯瞰で観ている感覚。CGもだがカットとかカメラワーク、そして音も運動がすごい。監督が(ほぼ)一人で作ったということであるが「どうすればこんな凄い作品を作れるのだ」と全くの驚異としか思えない映像と音で、電子音楽とかコンピュータミュージック・ノイズミュージックに興味のある方々にも観てほしい。というか世界的に注目されて然るべき映画だと思う。配給された方やシアターにも敬意を感じる。家が遠いとほぼレイト状態だけれど泊まりでも観た方がよい作品。
表参道から地下鉄で帰宅。しかし満員電車は矢張り御免だ。


※当日の写真はtumblr により多くうpしています。
https://yukawashizuka.tumblr.com/page/16

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