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カテゴライズする妄想からの解放

こないだの登戸の「まちなか遊縁地」は、100人カイギのおかげで知り合いが増えたせいか居心地がよく、ずっと居られるなあと感じました。

でも以前はどちらかというと、元気な人たちが盛り上がって楽しんでいる(ようにみえる)活動よりも、居場所のない人、元気でない人に寄り沿うような場に、居やすさというか好ましさを感じていました。

今は、どっちがどうというのがムリです。

どこにでも面白い人やスゴイ人がいるし、面倒な人もいる。

自分が楽しむだけになっていないか?
自分が本当にやりたいこと(必要なこと)なのか?

自分の「ほんとう」を生きているかどうかの問いかけは、ひとりひとりのもので、

例えば、向いている方向が一緒じゃなくても、その人が、おそらくは痛みを経て、自分を認めていくしかないと腹が決まったんだな、と思えると、私と同じだ、と、親近感や仲間意識が湧きます。

頭で無意識につくっていたカテゴライズが溶け、「目の前の人」だけになり、「目の前の人」をいろいろ味わい続けたら・・・

わたしは
誰とも違い
誰とも似ている

わたしはどんな人間でもあるんだ。

その伸びやかさ!
それが翼。

精緻なカテゴライズをしようと思えばできるかもしれないけど、そういう妄想は誰かにまかせて、わたしは「目の前の人」から扉を開いていければそれでよいのです。

そうやって翼を失わずに旅を続けたいんです。

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