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FAT LAVA: Dümler & Breiden【ライフワーク】

おはようございます。
今年はもう梅雨明けしたんですかね?というか、あったんですかね。というレベルの快晴。
雨が降らないと夏場の水不足も心配だし嵐のように振られても嫌だし、梅雨なら梅雨なりに降っておいてほしいものですね。

今日も西ドイツ時代の陶器において、その代名詞とも言えるFAT LAVAの作品を多く作り、その名を世界に知らしめたファクトリーを1つずつ掘り下げていきます。

Dümler & Breiden(ドゥムラーウンドブライデン)

今日ご紹介するのはDümler & Breiden。
ビアジョッキを主に作っていたところから、西ドイツの陶器を代表するファクトリーの1つに急成長したDümler & Breidenです。

ファクトリーの起源

Dumler & Breiden は、Peter Dümler(ピーター・ドゥムラー)と義理の弟Albert Beriden(アルベルト・ブライデン)の義兄弟によって1883 年設立。
それはJasbaやJopekoがファクトリーを構えるRansbach-Baumbach(ランスバッハ-バウムバッハ)のまさに隣町に位置する、Höhr-Grenzhausen(ヘール=グレンツハウゼン)にあります。
19 世紀後半から 20 世紀初頭にかけて、ビアマグやパンチボウルを製造しました。(1890 年から1930 年代にかけてビアマグの生産がメインだったものの1957年に生産を終了。)
ビアマグに代わって、戦後1950 年代から 60 年代のいわゆる「陶磁器ブーム」に花器のユニークで奇抜な作風で存在感を示し、市場を牽引するRuscha(ルシャ)やScheurich(シューリッヒ)に次いで、人気のあるメーカーまで急成長しました。
主なデザイナーはErnst Dumler(エルンスト・ドゥムラー、 Peterの甥)、Paul Zimmerling(ポール・ツィマーリング)、Rudolf Christmann(ルドルフ・クリストマン)でした。 ドミノ、ポーラー、サターンなどの範囲内で生産されたアイテムは、最も人気のあるアイテムの 1 つです。

Dümler & Breidenの特徴

1960年代後半には一目で見分けがつく銅色の釉薬を開発し、ベージュの色調や泡状の滴る溶岩釉との組み合わせがよく用いられていました。
しかし、Dümler & Breidenの特徴は特別なスタイルの専門家、というよりはすべてをうまくやれてしまうオールラウンダーとして側面が強い。

FAT LAVAだけでなく、プレーンの焼きの表面や薄めの釉薬の表現の巧さに加え、デザイン性も洗練されている。

品質管理に関するこだわりも強く、欠陥のある花瓶はいかなる場合でも工場から持ち出すことは許されなかったため、品質は極めて高い。
ほとんどの花瓶には、DとBの文字が柄頭として描かれた 2 本の交差した剣のブランドが付いています。

ビアマグメーカーとしての歴史

ビアマグは陶器に加えて銅製のものも多く、金属の蓋が付くものも多い。
(蓋は14世紀に大流行したペストを媒介する蝿を避けるためとも、炭酸や冷たさを保つためとも、開けていたらお変わりのサインだと分かるためとも言われている)元々ビアマグを作っていて銅素材(もしくは金属)を扱っていた経験がこの釉薬の開発につながったものと思われる。光に当てると金属ならではの鮮やかな輝きが生まれ独特の雰囲気を生み出している。

ドイツの芸術的な陶器を生み出すための工房とは違った出自をもつファクトリーだからこそ、その経験値と規模を持って幅広い製品を提供してより多くのファンを楽しませてくれたと言えるだろう。
「過去の経験は何事にも生かされる」という好例で、改めてそれに気付かせてもらった気がする。

僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良い一日を。

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