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”消える”人は何を考えているのか。

卒業や転職などといった人生の節目に、もしくはそうでなくても、コミュニティから”消える”人というのがいる。かくいう私もその一人である。ここでは”消える”ことがいいか悪いかとか、精神的におかしいとかおかしくないとか、そういうことは敢えて扱わない。それは私が判断することではない。精神医学が判断することだ。それによって社会生活に支障をきたすなら治療が必要かもしれないと思うけど、支障をきたしているか判断するのはその人と医師のすることであるし。

ただ、”消える”人である私が何を考えて”消え”続けてきたのか、整理してみる。それから”消える”人との付き合い方を考えていく。

だって、”必要ない”でしょう?

卒業が近づいてくると、「卒業したらアドレス帳整理しよう」と思う人間だった。アドレス帳がLINEの友だちになり、Twitterのフォローになっただけで、私のやることは変わらない。何故かと問われれば、もう"必要ない"から。

在学中は同じクラスや学科にいたのだから、連絡をとりあう必要があった。テストの過去問や時間割の変更、そんな情報をやり取りする必要があった。それらの情報は私の学生生活に欠かせないものであるから、クラスや学科のグループに属していた。そのためにアドレス帳や友だち、フォローを増やした。

けれど、卒業すればそのグループから手に入れなければならない情報などない。同窓会に参加しようという気もないし、無駄話につきあうつもりもない。だから"いらない"のだ。

これを書いていて気づいたが、私はこれまでの学生生活を通して、多くの人達と"繋がりたかった"わけではないのだ。有益な情報を得るためにマガジンを購読するように、有益な情報が配信されてくるから、人と繋がり、グループに属したのだ。

そして卒業した瞬間、それは"いらなく"なった。誰しも有益な情報のために他人と繋がることはあるだろうが、私のそれはそのため"だけ"だったのだ。勿論有益な情報を配信するだけでなく、プライベートでもつきあっていきたい相手というのはいて、私はそういう人達のことは切らない。卒業したら皆切ってしまうという人もいるかもしれないが、私は不完全に切るタイプである。

元々嫌いだった、嫌いな人がいた

有益な情報を得るためだけに属していたグループやコミュニティにも当然嫌いな人はいるし、コミュニティ自体が嫌いだったこともある。それでも、情報が欲しいから、在学中や在職中は留まり続けるのだ。

嫌いだな、嫌だなと思いながら続ける人間関係ほど精神によくないものはない。まして卒業や転職で、その関係を続ける必要がなくなったなら、やらなくていいことだ。私は私の精神を大切に守りたい。

そのためにはストレスを減らすことだ。だから私は"消えて"いく。

これからも”消え”続ける

私はこれからも"消え"続けるだろう。何故ならこの社会で生きていく限り、"必要だから"繋がる関係はこれからいくらでも生まれるし、必要なくなるときも同じだけやってくる。職場での関係などは選ぶことができない。必要だから連絡をする。そういうものだ。そして転職したら前職での関係はいらなくなる。

消えてもいいんだよ

いいか悪いかには言及しないと言ったが、最後にこれだけは言いたい。関係を続けることも、切ることも、どちらも人生には必要なことだ。"消える"人は人間関係の整理を定期的に行っているといえる。その上で、あなたを必要としているかもしれないし必要ないと判断するかもしれない。それは本当にその人次第なのだ。


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