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生きづらさって何なんだろうか。

セミが夏の終わりに、最後の命を散らすように鳴いている。私は頭が重くて起き上がれなくて、起きることもできずに、スマホで文章を書く。

生きづらさって、何なんだろうか。私は生きづらさという言葉を手で転がしながら、生きづらさとは複合する……と考えた。生きづらさは多分これという形を作れるものではないのだ。

私の生きづらさを構成するなかにアルビノがあり、ASD(アスペルガー症候群/自閉症スペクトラム)があり、抑うつ状態があり、いつの間にか抱えてしまったコンプレックス達がある。不揃いの石が不格好に組み上げられたそれが、私の生きづらさだ。

あるときまで、「視力があれば万事解決!」と思っていた。あれもこれも見えるようになったら、私は普通になれると思いこんでいたのだ。

たしかに私の生きづらさの大きなところを視力が占めている。大きな石の名前は視力。

でも不揃いな生きづらさの石は他にもあって、その一つ一つから生きづらさができている。

私はアルビノとは物心ついたときからの付き合いだから、何となく理解している。日焼けが敵で、眩しがりで、見えなくて……と、そんなこと。

けれど自覚したばかりのコンプレックス達や最近気づいたばかりのASDはそうもいかない。

コンプレックスについては分析してネタにして、書いていくことでその実像を掴もうとしている。抱えたコンプレックス皆書いてやる! くらいの勢いでエッセイを書いている。

だってそれくらいしかやり方を知らないんだもの。

そしてもっと厄介なのが、ASDだ。これは現在の医療では治るものではなく、薬もなく(抑うつ状態に対する薬はある)、一生付き合わなければならないらしい。私は絶望したし今もしている。薬で楽になれるものなら楽になりたいし、特にASD特有の疲れやすさを何とかして欲しい。

生きづらさは不揃いな石が組み合わさっているなんて書いたけれど、ASDと書かれた石の形すら私はわからない。

いつか、ASDの薬ができて、私の視力が改善されたら、生きづらさは少しは軽減されるだろうか。

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ライター/エッセイスト。かがみよかがみ、NOISEなど。noteは日常や私のマイノリティ、特にアルビノについて書く。

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