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地元に帰ってきたことは敗北なのだろうか。

帰ってきてしまったな……と思いながら飛行機を降りて新千歳の地を踏みしめた。そこにあったのは圧倒的な敗北感と不安。

大学卒業目前にして抑うつ状態となり、その春にASDと診断され、仕事は続かず、外に出られなくなってしまった。食欲は低下し、パン一つで生きる一日もあったほどだ。そんな生活を続けていられるわけもなく、動かない体を何とか動かして、私は地元に帰ってきた。

転入の手続きに市役所に赴いたとき、街を歩いたとき、ああ、変わったな……と感じた。どう変わったか。正確に言えば、過疎ってる、であった。(何せ転入の際に渡されたパンフレットにも人口流出が止まらないと書いてあった)

見渡せばお年寄りのいる高齢化した光景、待ち時間の少ない市役所、そして、私の感じる帰ってきてしまったという敗北感。それらすべてがこの帰省を惨めで、私の敗北を決定づけるものにしていた。

それでもごはんはおいしかった。両親が店で買ってきたという唐揚げ。道の駅のニシンのバッテラ。懐かしくてたまらない母お手製の味噌汁。

地元の食べ物はいつだって私の誇りだった。ごはんがおいしいことに関しては文句なしに頷けるし、ブランドとして売り出せると思うのだ。実際にいくつかブランドとして売られている。

私は大学時代を茨城県で過ごした。茨城県というのは北海道に次いで生産量の多い野菜などがたくさんありながら、いまいちそのよさをアピールできていない、ちょっと残念な県だった。こんなにおいしいものがあるのに、魅力度最下位なんてもったいない。ラーメンはおいしいし、鉾田メロンだって、ほしいもだって、笠間の栗だってあるし、大洗も水戸も楽しい街なのだ。ただ、ちょっと、交通機関が足りていないのがネックなんだけど。

車で動けないと遊びにくいのが茨城県のもったいないところではある。ここを何とかして、もっとPRに力入れたら、せっかく東京に近いんだしいろんな人が来るだろうなと思っていたら、『ガールズ&パンツァー』(通称ガルパン)や『刀剣乱舞』(通称とうらぶ)の聖地として頑張り始めている。頑張れ。

さて、私のことに話を戻そう。茨城もおいしかったな~と思いつつ帰ってきて、帰ってきてしまった……と落ちこんでいた。うまくいかなかったから仕方なく帰ってきた帰省であるので、それも当然と言えば、当然だ。

地元で働くのって、敗北なのか? という疑問が私のなかに現れた。そもそも成功って何だ? とも思うが。成功も失敗も終わってみるまでわからない。

地元で働く=敗北、なのだろうか。高校を出て、あるいは大学を出て、さっさと地元に見切りをつけるのが合理的で正しくて、強くて勝利なのだろうか。賃金の面から見ればそれはある意味間違っていない。最低賃金が東京より低いのでどうしても東京よりお給料が安くなりがちだ。そして仕事はより都市部にある。

選択肢を求めて若者は都市部へと向かう。その流れが人口流出であり、20-30代の流出が顕著なのだと転入の際にもらったパンフレットに書いてあった。

地元で働くのって敗北なのか? いや何に対して勝ち負けを決めているんだ。たしかに都会に流出していくことは当然の流れで、止められないのかもしれない。しかし、地元で働くことは敗北ではないはずだ。

地元で働く人の姿を書くことで、地元で働くのは敗北ではないって伝えたい。

そのために何をするとかそういうことはまだ全然決まってないんだけど。私にできること、つまり書くことで何かしたい。

執筆のための資料代にさせていただきます。