商業誌デビュー10周年
2014年2月14日。それがわたしの最初の書籍が出荷される日だった。
出荷日、なので実際に本が店頭に並ぶのはその翌日以降なのだが、その辺の事情を考慮するのは大変に面倒くさいので、わたしはこの日を『プロ作家デビュー日』としている。
2月14日と言えばバレンタインデーでもある。基本的に記念日を覚えておくのが苦手な人間なので、世間一般のイベントの日がデビュー日になったのは、覚えやすくて大変ありがたいことであった。
本が並ぶのは翌日以降とわかっていても、やはり人生初の書籍が発売されるとなると落ち着かないもので、十年前のあの日のわたしは朝からひどくソワソワしていたし、できれば家の近くの本屋さんに行って、自著が並んでいるかを確認したかった。
しかしその日はなんと雪。このあたりは基本的に雪が降らない地域だけに、なぜ年に一回か二回降るかどうかという雪の日がデビュー日にやってくるんねんという気持ちしかなかった。
自分一人ならそれでも強行して車を走らせていたかもしれないが、あいにくかたわらにはもうすぐで生後二ヶ月という娘がいた。さすがに生まれて二ヶ月にもならない娘と一緒に雪道の中、ノーマルタイヤの車を走らせる勇気はない。
結局、自著が本屋さんに平積みされていたのを見るのは、それから二日後くらいのことだ。
同じ時期に見本誌が十冊も届き、自分の本が本当に本屋さんに並んでいる……という感動も相まって、プロデビューできたんだなぁ……と胸をジーンとさせたものである。
あれから十年が経過した。さすがに書籍の発売日にソワソワしてなにも手につかないという心境になることはなくなったが、刊行日から三日くらいはランキングが気になるし、購入報告をSNSで見るだけで、ノートPC画面に向かってほぼほぼ拝む心境で頭を下げるところは変わっていない。
電子書籍の刊行のほうが多いだけに、たまに紙の本が発売となるとやはり本屋さんに行って、自分の本が並んでいるのを見て、ほっこりと嬉しくなる。
特にこの十年で紙の本の価格は信じられないほど高騰してしまった。紙の本を出してもらえるだけでありがたいという状況だけに、自著が本屋さんに並んでいる光景は感慨もひとしおなのである。
十年、本当に長い期間である。書籍化申請が無事に通り、改稿作業に明け暮れていた頃、娘はまだわたしのお腹の中にいた。生まれたあとも三回目の校正を手がけていた。そうしてようやく本になったときはそろそろ生後二ヶ月という頃合い。
そんな小さかった娘は、今や十歳。小学四年生も、残り一ヶ月くらいで終わるというときである。父親の長身の遺伝子を受け継いだのか、娘は同学年の中でも背が高いほうだけに、チビのわたしとは身長がほぼほぼ変わらない高さまで育ってしまった。
デビューしてからの十年は、子育てもまた一緒に歩んできた十年である。デビューしたその年にはまた妊娠し、翌年には息子も産まれていた。一年七ヶ月違いの姉弟だが、学年はふたつ違い。息子は今は八歳、小学二年生の後半である。
娘は幼い頃から人見知りと場所見知りが激しく、運動会や発表会では棒立ちか大泣きという繊細さを遺憾なく発揮していた。息子は人見知りも場所見知りもほぼないが言葉が遅く、今現在も文章の組み立て方が下手くそで、意味が通らない会話もしばしば。そのため、年中さんから卒園まで療育にお世話になっていた。
娘はそういった機関にお世話になることはなかったが、小学三年生から学校への生きしぶりが顕著となり、四年生になってからは行事や集会を脱走することも増えてきた。
本人はもちろん周りにも迷惑がかかる行動はさすがに看過できないと、市の教育相談所で教えてもらった病院を受診。小児発達外来にて、11月に『自閉スペクトラム症』と診断が降りた。その後、学校側に掛け合い、支援級の情緒クラスに籍を移して、現在はようやく学校に通うことにそこまでの抵抗を見せなくなってきたところである。
そして娘が落ち着くのと入れ替わるようにして、今度は息子のほうが通常級での生活に大変さを覚えるようになってきた。息子も今月には娘が通った病院の初診にかかり、発達の検査を含め学校生活をどうしていくかを考えていくことになる。
プロの作家としてのキャリアを築いていく中で、子供たちのこういった困難さはしばしばわたしのスケジュールを圧迫することも多かった。
発達のことが頭をよぎらない子であれば、本人たちもわたしもここまでの苦労をすることもないだろうと思ったことは数知れず。そう思ってしまう自分を「子供のありのままを受け入れられねぇなんてマジひでぇ母親だな」と嫌悪したことも数知れずだ。
十年経ってもひとかたの作家になった感覚がないのと同じように、十年経ってもいい母親になれている感覚がいっさいない。おそらくこれは今後も同じなのだろうなと諦念とともに思う。「なにもかも中途半端に感じる」というのは働くママにあるあるの感情でもあるし、実際にどれもこれも完璧になんて、どだい無理な話なのだ。そんな器用な生き方はこれまでもこれからも、きっとできないに違いない。
そうしてわたしが十年を歩むあいだ、SNSなどでつながっている作家様や読者様にも等しく十年という時間は流れているわけで。
わたしのデビュー前後に「応援しています! 作品が好きです!」と言ってくださったけれど、今はすっかり音沙汰のない方々は、今頃なにをされているのかなぁともぼんやり思う。
ブログによくコメントしてくださった看護師の読者さんがいた。確かその時点でお子様はすでに二人か三人いらっしゃって、お腹にもう一人いるとおっしゃっていた。無事に出産されていたなら、その子もとうに小学生になっているはず。今も楽しく働いていらっしゃるのかな、TL小説がまだ好きで読んでくださっているのかな、とふと思う。
過去にたくさんやりとりしていた作家仲間も、お身内を亡くされたり、私生活が忙しくなったりしたようで、この頃はSNSでも姿が見られない。とにかく元気にしてくださっていればいいのだけど、という心配もよぎる。
同じ年に、わたしがデビューしたのと同じレーベル様からデビューされた方も、二、三年すると刊行がなくなり、ブログなどの更新もなくなり、今どこでなにをされているのかわからない……という方も多くいらっしゃる。ネットであれだけ話題だったのに、書籍化は一回だけで次はなかった、と言って筆を置いてしまったひとも。
無論、わたしと同じく踏ん張って、十周年を迎える作家様も多くいらっしゃるわけで。
十年というのはかくも多くの人生が、多くの行き先に別れていく年月なのだと、しみじみ思わざるを得ない。
それだけに、デビュー前から「先生の作品が好きです。応援しています」と言ってくださって、今なお好きだといってくださる読者様には、本当に感謝の念がつきない。なんと長い時間、わたしの作品を好きでいてくださったのか。
本当にありがたい限りで、ありがとうという言葉では足りないほど。『有り難い』という表記がこれほど似合う存在もいない。どんなコンテンツでも十年好きでい続けるというのは難しいだけに、本当にありがとうという気持ちでいっぱいなのだ。
無論、ここ数年で好きになったという方にもありがとうの気持ちは尽きない。特に今は十年前と比べて、TL作家の数もTLレーベルの数も桁違いに多くなった。その中からわたしの作品を見つけて好きになってくださったということは、わたしからすれば奇跡の出会いのようなもので、心から感謝したいところなのだ。
昔は好きだったけど今はそんなに、という方ももちろんいらっしゃるだろう。TL小説は好きだが佐倉紫作品は好きじゃなくなった、という方もいらっしゃるはず。
商業作家として長くやっていくと、自分の書きたいものより売れ筋のものを書いていく傾向がどうしても強くなるぶん、作家本来の個性や尖りというものは、どうしても削られていくものなのだ。『昔の作品は良かったのに今は量産型でつまらない』と思うのはまさにこの現象だけに、本当に申し訳ないと思う。
しかしわたしはプロとして、この仕事で賃金を得ている立場なので、やはり売れ筋を書くことをやめることはできない。そこにどう個性を乗せていくのかが今後の一番の課題になっていくのだろうなと思っている。
同時に、もっと知名度を上げていきたいという目標も持っている。
わたしは2021年にさるTL系の公募で受賞し、作品が書籍化されることになった。そのとき担当になってくださった編集者様とリモートで最初の挨拶をしたのだが、その担当様はわたしのことをご存じなかった。
すでにプロになって五年以上が経っており、刊行したTL作品の数も二十は軽く超えていた。だがその方はわたしの作品を一つも読んだことがなかったし、わたしがプロということも受賞後に知ったということだった。
「あ、わたしの知名度ってそんなもんなんだな」とふと思った。そこそこ結果を出してきたと思っていたが、とんでもない。TL小説の最先端を行く現場の編集者でさえ、わたしのことも、わたしの作品のことも知らない方がいらっしゃるのだ。むしろそういう方のほうが多いのだろう。
自分はまだその程度でしかないレベルなんだと思ったとき、「もっと知名度を上げないと、これから先は生き残れない」と痛烈な焦燥感を覚えたものだ。
だからこそ、もっとたくさんレーベルで本を出さないといけないし、結果も残していかなければならない。わたしは書籍化打診によってデビューした人間だから、今回の受賞以外で公募で結果を残したこともなかった。
だからこそ、今後は時間を見つけて公募に挑んでいかないと駄目だ、という意識が芽生えたのだ。
もともとわたしは中学生の頃から小説を書き始めて、高校生から多くの小説新人賞に作品を投稿していた。それこそ小説家になろうなどの投稿サイトが生まれる前から、いわゆる『公募勢』だったのだ。
プロになって、商業誌の執筆に追われ、子育てに追われ、とても公募にまで手が回らない状態だったが、ようやく子供が二人とも小学生になって、少しは執筆の時間も取れるようになってきた。
そうなったらもう、やることは一つ。公募への挑戦だ。それも自分がまだ作品を出せていないレーベルや出版社にて結果を出すこと。裾野を広げていくことが大切だと思えた。
そうして2023年、カクヨムWeb小説コンテストにて特別賞を受賞。受賞作品は来月に刊行されることになった。自分としてははじめてのTLレーベル以外での紙の書籍だ。
十代の頃は、それこそ少女系のレーベルでデビューすることを夢見て公募に出していたわたしにとって、中学生の頃から親しんできた角川ビーンズ文庫様で受賞作を発表できるというのは、当時の夢を二十数年越しに叶える大きな出来事にもなったのだ。
同時にTLレーベル以外で紙の書籍を出せるということも嬉しいことだった。ほかのジャンルに自分の名前の本が並ぶ……自分の裾野や可能性が広がったような気がして、純粋に成長したなと感じられた。
ただ、角川ビーンズ文庫の編集様たちも、やはりわたしのことはご存じなかった。違うジャンルの作家ということもあって、どなたも『佐倉紫』をご存じなかったのだ。
一方で、プロだということを話したら「やっぱり」という反応をいただいたことは自信につながった。「文章がとてもお上手なので、プロの方かなぁと思っていましたが、やっぱりそうでしたか」と。
編集様の目から見ても「上手い」と言われたことは、素直に誇っていいことだと思う。プロとして必死にやってきた、この十年の成果がはっきり現れたということだから。
そしてありがたいことに、今年2024年のはじめには、新たに挑戦したTL系の公募で大賞を受賞することができた。こちらの担当様はわたしのことをご存じで「よく応募してくださいました」と言ってくださった。
おお、ようやくわたしも編集様に存在を認知される存在になれたのだ……! と、受賞の事実に加えて、そちらも本当に嬉しかったことを昨日のことのように思い出せる。
この十年はとにかく成長の十年だった。逆にプロとして十年、読者様や編集様に鍛えてもらったからこそ、ようやく公募でも結果を出せる実力が備わってきたのだとすら思う。
世の中には「自分が読みたい話がないなぁ」という理由から「じゃ、自分で書こう。お、ちょうどコンテストやってるじゃん。ついでに出してみよ」くらいのノリで新人賞に応募し、そのまま受賞して書籍化、作家デビューをするという猛者が実際に存在する。わたしはそういう存在を『才能があるひと』と自分の中で定義している。
一つのことを長く続けて夢を叶えたひとを見て『続けられることこそ才能なのだ』とか『努力の天才』などと評する声を、各方面から聞くことがよくある。だが、わたし自身はそうは思っていない。「才能がないからこそ、才能がある人間に追いつくためには続けるしか方法がなかった」というのが実際のところで、わたしは自分をそういう人種だと思っている。そこにあるのは才能ではなく、単なるあきらめの悪さでしかないのだ。
才能に恵まれなかったわたしは、公募への応募をはじめて、二十年経ってようやくそのジャンルから本を出せるレベルになれた。今、公募に落ち続けて、自分に才能がないと思っている方は、是非わたしが歩んだ二十年という月日を覚えておいてほしい。
そのうち十年はプロとしてやってきた。たくさんの編集様に面倒を見てもらって、赤字をたくさん入れてもらってきたからこそ、わたしはようやく公募で賞を取れるレベルに達することができたのだ。
ここまで成長したなら、今度は知名度をさらに上げていくために裾野を広げていくこと。次の十年でやるべきはここだなと思っている。
そのために公募にはどんどん挑戦していきたいし、たくさんのレーベルから本を出したい。TL系だけでなくライト文芸や少女小説にも裾野を広げて、佐倉紫という作家を一人でも多くのひとに知ってもらいたい。これだけ作家様の数が多い時代だ、そうしないと生き残っていけない。生きるために、生存場所を広げていくことが、これからの十年で大切になってくると思っている。
そしてここまでこられたのは間違いなく、これまでかかわってきた編集者様、読者様、SNSのフォロワー様、そして家族の協力が不可欠だった。そんな彼らへの一番の感謝の示し方は、おもしろい作品を作り続けていくことに尽きると思う。
作品を書き上げて、編集様によりよくなるようチェックしていただき、世に発表して読者様に喜んでもらう。その喜びがわたしや編集様のモチベーションになり、より楽しい作品を作ろうという気持ちにつながる。この素晴らしい幸せのサイクルを、長く長く続けていくために、わたしは今後も生き残りを賭けてひたすらあがく。
作家としての第一章が成長のための十年であったなら、次は第二章、裾野を広げるための十年だ。
これからも作家であり続けるために、読者様や編集様に喜んでもらうために、わたしと家族の生活のために、次の十年もしっかりわたしの物語を書き上げていく。
また十年後に、喜びと決意に満ちた記事を書けるように、ひたすらに精進していきます。
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