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根気よく "待つこと"

朝ごはんを終えて、ひと通り遊び、午前中のうちに一度眠るのが娘のルーティン。
午前に一度寝てくれると、わたしもこうして想いを綴ったりひと息つける時間が訪れる。

車の中で寝る、もしくは夫が寝かしつけをする以外のときは、おっぱいを吸って安心して眠りにつくパターンがほとんど。

本人が安心して満たされるのが一番だと思うのと、わたしも満たされたり癒されたりする感覚があるので、このやり方は苦ではない。

ただ(勝手なもので)時々こちらが疲れていると「早く寝てちょーだいよ〜」と、内心叫ぶことがあったりする事がある。

その反面で、大人だって寝つけない時もあるし、他者の睡眠をコントロールしようなんて勝手な話だなぁ(反省)と、一歩引いたところで見て冷静になるじぶんも出てくるのだ。

今日は正に、そんな日だった。

眠そうにしているのになかなか寝つけず、おっぱいを吸ったと思ったら遊んでみたり、立ち上がってみたり。

こちらは呼吸をし直して、落ち着いた身体で娘を再び抱き抱えて授乳の体勢になる。

その時に、ふと「あぁ、そう言えばこの子が産まれてくる時もただ "その時" を待っていたんだ。歩き出す時だって、こちらが何かを働きかけなくともタイミングがきてスッと歩き出した。寝る時だって、そうだよね。ただ待てばいいだけなんだよね。」

何だか急に視点が大きくなり、そんな意識のゾーンに入ったのだった。

絵本を読んだり、こちらから言葉がけをしたり、食べ物を渡して食べることを促したり、親が働きかける場面もあるけれど、基本は待つことをすれば何の問題もなく彼女のペースが守られて、安心の環境を共に作ることが出来るのだ。

集合時間が決まっていて時間通りに行動するときなんかは、そう簡単なことではないけれど出来るだけ今の感覚を忘れたくないなぁと思う。

娘はママ(わたし)の後追い真っ只中で、なかなか思うようにこういったコラムを書く時間が取れないものの、なるべくふと感じた事は忘れないうちに残しておこうと改めて思っている。

というのも、歌手の坂本美雨さんの著書『ただ、一緒に生きている』(美雨さんが東京新聞で連載している子育てエッセイがまとめられたもの+書き下ろしが加えられた一冊)を読んで、深く共鳴したのだ。

パートナー(夫)とのこと、娘とのこと、家族を通じてじぶんの内を見つめる。

ふとした瞬間に出てくる、内なる声をキャッチすること、わたしにとって大切な作業なのだと、改めて痛感している。

こちらは、【ドネーション(投げ銭)】の窓口です。 心が響いたり、受け取ったものがあった時に、その分の対価の循環をどうぞよろしくお願いします。 芸術を追求している音楽家の生き方・存在が、この社会の中で一つの光となることを願っています。