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伝わらないと思って、伝えること。

毎日言葉を発しているし、毎日言葉を紡いでnoteを書いている。
自分自身に向けてだったり、架空の誰かに宛てたものだったり。書いたものが誰かの目に触れることを考えつつ書いている。

言葉というものは、誰かに何かを伝えるためのツールだ。
世界には様々な国の言葉があるし、その国の言葉ですら地方性があり「文化」とも捉えることができるだろう。

「発声」として言葉を伝えることもあれば、「書く」という手段で伝えることもある。音に乗せれば「歌」になるし、映像と合わせれば「動画」にもなる。

当然ながら、ワタシが子供の頃はTwitterもなく、ネットニュースもなかった。
情報は新聞やテレビから得ていたし、それに対してのユーザーの反応に触れるなんてことは特になかった。せいぜい、ラジオからの「リスナーの声」程度だったのだと思う。

その頃のことを思うと、今はさまざまな人の意見を目にしているわけで、改めて考えるとすごい世の中になったものだと関心してしまう。


伝わらないと思って、伝えること。

普段、言葉を使ってコミュニケーションをとるのだが、心がけていることがある。
それが「伝わらないと思って、伝えること」だ。

自分の言葉にも癖があると認識している。
毎日noteを更新しているが、使い慣れた単語や言い回しをチョイスしているのを自覚している。
それから、難しい言葉を使うことを嫌う傾向があることも知っている。

誰かと対面で話す時や、メールなどの文字でコミュニケーションを取る時には、相手のキャラクターを想定したり、相手が自分にとってどのような位置にいるかなどを考慮しながらやり取りをする。

だがしかし、相手の価値観や環境によっては、どんな配慮をしたとしても、伝わりきれない部分が生じてしまうのだ。

自分とは思考が違う相手に「伝える」という状況において、いかに全力で思いをぶつけようと、100%の成果には至らないのだ。


伝わらないと思って、伝えること。

そう。だから面白い。だからこそ「丁寧に伝える」「何度も伝える」。

デジタル機器を扱いながら、
アナログな自分に打ちのめされながら、
泣きたくなるくらいの伝えたい思いを抱えながら、
今日も明日も明後日も、伝わらない思いを、伝わらないと思いながら、

全力で伝えるのだ。

今日も明日も明後日も、
言葉がある喜びを、感じながら生きよう。


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