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「子どもが教える学校」から、見えたもの。

今日は、私が尊敬している、鈴木深雪さん@iriko_14 の「子どもが教える学校」を受講しました。
子ども達が先生となって、大人に対して授業をするというもの。つまり、私は子ども達に授業をしていただいた身分なのです。

メディア掲載もあってか、3日間の開催のうち、最終日の本日10日がいちばん多くの受講者数だったようです。300人近くの方がネットで繋がっているということに驚きました。


子ども達はプレゼン資料を作成し、それをオンラインで画面共有して言葉で伝えていきます。300人近い人達を実際に目の前にしているわけでもないのにそれをしている事実。不思議な感覚だったのではないでしょうか?

子ども達の表現から学んだことは多くあり、私なりの視点で今回の受講から見えたものをシェアしたいと思います。


プレゼンに個性が出る

プレゼンの内容は、子ども達によって様々でした。つまり、その子自身の興味だったりの「思いの方向」が見えるということになります。

・どんなテーマにしたか
・なぜそのテーマにしたか
・どんな思いがあるのか
・伝えたいことは何か
・どんな反応を得たいか

「思いの方向」がこれらから垣間見えるわけです。
年齢も様々。住んでいるところや環境も全く違う。当然ながら身長体重・身体上の特徴まで、あらゆる面で異なります。異なるからこそ、「思いの方向」はユニークになる。

プレゼンで使用している書体や色合い、画像のピックアップからも、それぞれの個性が出ることにあらためて感心しました。


「伝えたい」がジェスチャーになる

人の動きで面白いのが、ジェスチャーだと思っています。
特に、「誰かにモノを伝える」という場面で見られるジェスチャーというのは、心の状態が素直に表れるので熱意が伝わってうれしくなりますね。

子ども達の中には、ジェスチャーを交えてお話をしてくださる先生がいて、「伝えたい」「知ってもらいたい」という気持ちが溢れているように感じました。


知らない人に伝えられる

今回のオンライン学校では、「知らない人に、自分の気持ちを伝えられる」という喜びが大きかったように思います。
知っている人に何かを伝える時と、知らない人に何かを伝える時では、スタート地点が変わってくるはずです。
プレゼン資料を作っている時や、実際に話をしている時に、これらのことを意識していたのではないかと思います。

そして実際に、「知らない人に何かを伝える」を達成した状況を目の当たりにしたことで、この学校の素晴らしさを思い知りました。


誰かの興味・関心につながることができる

「伝える・伝わる」の醍醐味は何か?
それはそこから発展する「可能性」だと思っています。

ある子ども先生のプレゼンから、「それは何?」「それ知ってる」「私も好き」などの反応がありました。
繰り返しになりますが、年齢も住んでいるところも、環境も違う人達なわけです。物理的な距離を越えたところでつながり、なおかつ誰かの興味・関心に反応し、つながることができる。
そういった場面に立ち会えたことに心を動かされました。


大人として思うこと

生徒としての、素直な感想です。
実はかなり、冷静に今回の授業を受講していました。一週間前のほうが、どんな風に展開されるのかとワクワクしていたんですね。ところが、当日になったら意外に冷静。笑

多分、心から生徒になっていたのだと思います。
「子どもの話を聞いてあげよう。」とかいうスタンスではなかったということ。「しっかりと授業を受けないといけないな。」と、いつもは使わない罫線入りのノートにメモを取りながら受講していました。


【子どもには肩書がないから自由がある

厳密に言えば、今回は「子ども先生」という肩書があったのですが、肩書をずっと意識していた先生はどれだけいたのでしょうか?
どちらかといえば、「わたしが伝える」というところに注力していたのではないかと思うからです。

大人がプレゼンしようとすると、まずは「何者なの?」というところから始まります。企業名なのかもしれないし、部署や役職なのかもしれない。専門家としてのタイトルなのかもしれない。

大人って誰かと話をする時に、「何者」から入っていくんですね。
その人が「何者」であるかを条件として、その人に関わる。

子ども先生には、「何者」がないことに途中で気づき、無性に羨ましくなりました。


【大人ももっと、自由に伝えたい
今日のカリキュラムの中で、小31年生の方のプレゼンがありました。
はい。大人。
お父さんの特別プレゼンとなったわけですが、そこに私が感じたことは「自由」でした。

「何者かわからない、お父さん」なわけです。(ごめんなさい。悪い意味ではないです。笑)
そういった方の、自由な思いを聞く場所っていうのは、意外にないです。

SNSはありますが、まあまあなアカウント名と、そこそこのプロフィールを書く。何か戦略的なことをしたりしないと、なかなか多くの方に思いを伝えるようなことはできないように思います。
そうすると、いつの間にか自由じゃなくなっていく。

私自身も、こうやって毎日noteを書いています。
それはやはり、「何者でもないかもしれないけれど、誰かに伝えたい」という気持ちがあるからです。
そう。大人ももっと、自由に伝えたいんです。


【全体を通して思うこと】

オンラインでつながることができた300名近い人達は、ある意味恵まれた人たちだと思っています。プレゼンテーションアプリを使用できる環境が整っており、ネットワーク環境も整っている。
この恵まれた環境を、いったん冷静に考えたい自分がいます。

人と人とがコミュニケーションを取るには、条件が必要だということです。

これは対面であっても同じです。物理的に離れている人とのコミュニケーションは、あらかじめコンタクトを取り、落ち合う場所を決め、そこまで移動するという時間と交通費がかかります。

今までの私は、コミュニケーションを考える時に、「話し方」「聞き方」「感じ方」といったソフト面に重きを置いていました。
それが、オンラインでつながるのが平常となったことで、「方法」「環境」「タイミング」など、ハード面などの、別の観点からも考えるようになりました。

そこから発展して、「方法」「環境」「タイミング」が重なることによって、多くの人と価値観の共有ができるという興奮があります。

今日の授業で、子ども先生の授業を受けた皆さんの表情は、とてもステキでした。誰かの価値観に共感したり、感動したり、驚いたり。
誰かの話を聞くことで、自分の心が揺さぶられる。それが顔の表情に出るからですね。

数多くの気づきを与えてくださった「子どもが教える学校」。
鈴木深雪さんと、サポートメンバーの皆さま、それから教えてくださった子ども先生の皆さまに深く感謝いたします。

ありがとうございました。


・・・それから。
うちの息子の発表にご興味を持ってくださった方へ
先日投稿した記事がありますのでご覧いただけましたら幸いです。


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