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自己肯定感が「本当は高い」人が、勘違いしやすい落とし穴。

この日本で、自己肯定感が高いと言うと「すごいねぇ、自分に自信があるんだ」と言われたりする。

はい。私です。

ただ、自己肯定感が高いのと、自分に自信があるのとでは全く違う。
その辺りの相違について説いても、場の雰囲気が悪くなると思い、笑って流してしまったりする。
飲みの場であったら、そんな感じでいいと考えている。

「大衆の前では、謙虚であるべきなのが日本人の美徳」みたいな考えがある。実際のところ、謙虚な人の中には本当に素敵な人もいるから、この考えを真っ向から否定するつもりもない。

ただし、謙虚そうで実は自己肯定感が高そうな人がいる事実を、感じたことはないだろうか?


自己肯定感が「本当は高い」人が、勘違いしやすい落とし穴。


あらためて、
「謙虚であることが、この国の美徳」のように扱われることがある。

女性に関しては、特に謙虚さが良しとされる風潮がある。
男尊女卑の歴史が長いため、「一歩下がって後をついてくるような人」を良しとしてきた社会があるからだ。


自己肯定感というのは、高くていいのだ。

高くあるべきなのだ。

それなのに、周囲に対して本人がそれを認められない不都合がある。

そして、もっと厄介なのは

本人が、自分に対して自己肯定感が高いことを認められないということだ。


少なからず誰しもが抱えているコンプレックスを引き合いに、自己肯定感が低い振る舞いをしてしまう。
それにより何が生じるかというと、

「謙虚そうな言動をしつつ、自信に満ち溢れた言動をする」
という、ちぐはぐな状況に陥る。

周囲はそれに気づく。
その人の言葉の裏に気づく。
ざわつき、離れていく。

ただ、本人だけが気づいていない。


そういう状況を見るたびに
もっと自分を知るべきだと教えてあげたくなる。

「ありのままの自分」とは、
気づかずに通り過ぎて何もしないことではない。
本来の自分に気づき、さらに「認める」こと。

認めることで、自分自身に対して辻褄が合わせられる。
そして、周囲に対しての振る舞いでも辻褄が合ってくる。

自己肯定感は、高くてもいい。
自己肯定感は、高くてもいいんだ。







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