何もないわけがないのに、何もないという彼女のこと。
子供にとって母親の存在は大きいが、子供が大きくなると徐々に変化してくる。母親にとっての子供の存在の大きさの方が、上回ってくるように思えてくるのだ。
母親の保護なしでは生きていけない乳児期・幼児期から、心の自立が始まり学童期・思春期を超えて青年になる。
生命維持を支えていた頃は振り返ると一瞬で、以降は子供自身の成長を見守る位置になる。
何もないわけがないのに、何もないという彼女のこと。
久しぶりに会った彼女は言う。
「子供たちが成長してしまったら、自分には何もすることがない」
あらそう。そーなん。あれあれ。
と、私の心の中で白状な独り言が湧き上がってくるが、実のところ人ごとではないし、正直、共感できたりもしている。
彼女は特別、過保護な子育てをしているわけではない。ごく普通のお母さんだ。けれど、さまざまな問題を一緒に乗り越えてきたようなところがあって、子供との位置が近いのかもしれない。
子供はそこにいて、彼女が寄り添っている。
お互いに寄り添っているのではない。
じゃあ、仕事を頑張ればいいとか、趣味を見つければいいとか、そんなごく当たり前の提案では解決しないのだ。
そう。「○○ロス」ってやつだな。
子供の成長は親にとって分かりやすい
身長が伸びたとか
学年が上がったとか
口にする大人びた言葉とか
行動範囲が広がったとか
ところがこの間、親も成長しているのだ。
それを老いと呼ぶのなら、それもまた良いのかもしれない。
「でも、今まで何もしないで過ごしたことってある?」
「何もしないって・・・。それはないかな。」
「じゃ、大丈夫じゃん。」
そういって目を見て笑い合う。
私はこの、愛情深い彼女が大好きだ。
何もないという彼女は「愛情深さ」を持っていることを知らない。
まぁ、その時が来たら伝えよう。
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