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変化させることの勇気。

コロナの影響で、多くの学校の行事予定も中止となっていますね。うちの子供たちの学校でも、体育祭や文化祭の中止が早々に伝えられました。

微妙なのは、11月の修学旅行。まだ検討中とのことですが、どうなることやら。子どもを修学旅行に行かせてあげたい気持ちだけでなく、その向こうの旅行会社のことを思うと、何だか複雑な気分です。

そんな中、大学の学園祭はまだ、中止に転ぶのかどうかはっきりしないらしく、娘はソワソワしているのです。
なぜならば、入っているサークルの発表のリーダーになっているからです。

リアルで開催できるのか?
中止になるのか?

まだはっきりしないながらも、リアル開催を目指してとりあえず動かないといけないとのこと。あらあら、たいへん。


でも実は、それよりもっと厄介なことがあるらしい。
それは、「例年通りやること」ということ。

いつから始まったのかわからないけれども、不思議な?というよりかは無駄なルールがいくつもあるらしい。



変化させることの勇気。


さて、「例年通り」というのは、どこの団体や企業にもあることです。
毎年やっていること、続けられていることには、それなりに意味があるでしょう。細かい準備だって、雑務だって、「例年通り」にすることで段取り良く進めることができます。

しかしながら、当然、「例年通り」に縛られすぎると不都合も生じるわけです。融通が利かない、無駄がある、効率が悪い、などなど、弊害を感じることになります。


さて、この「例年通り」に振り回された昨年度。そして、リーダーとなった今年度。どうにかして変えたい彼女は、ウズウズしているのです。

小さい頃からリーダーと名のつくことを勧めても、絶対にやろうとしなかった彼女が、自分から挙手したのだそう。

よーーーっぽど、この「例年通り」が納得いかなかったらしい。
母、ニヤリ。やっと自主的に動けるようになったかと期待でいっぱいになります。


アナログな彼女に、デジタル情報をガンガン提供しまくります。(元エンジニアです)

そして話しは最終的に、「どう、人の心を動かすか」になりました。

「例年通り」やるべきだという先輩。波風を立てる雰囲気のない、ある意味ブラック体質な同級生たち。まずは、この人たちの心をどう動かすかが問題です。

それから、「誰のためにやるか」。
「例年通り」のやり方の主役は、なぜかサークルメンバーのための内容でした。会場に見に来てくれる人たちの目線で作っていないので、全く面白味がない。

議論はここにたどり着き、やる気に満ちたように見えた彼女は、とりあえず腹ごしらえを始めた次第です。


変化させることには勇気がいります。
彼女はこれから数ヶ月、いろいろな葛藤の中に生きるでしょう。
人の心を動かす。自分の芯を持つ。机上の学びとは全く違う、素晴らしい学びをするでしょう。

腹ごしらえで元気が出るのなら、いくらでも食べるがよし。
食べていればごきげんだった、幼き頃を思い出します。
風の強い街に生まれたから、きっとあなたは大丈夫。
きっと、あなたは大丈夫。


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