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わたしの目線。

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大切だと思うことを、「わたし目線」で記したもの。
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#note毎日更新

ひとりごと。

今日は午後に向けてジワジワと身体が重くなり、ほぼ何もせずに終わりました。思えば最近、のんびりマイペースにしているつもりが、常に緊張していたことに気づきました。 HSPということも要因の一つ・・・いや、大きな要因だと思いますが、無意識に緊張しすぎてしまうところが我ながら疲れます。 この記事が、347 記事めになります。330日くらいは毎日更新をし続けているので、あともう少しで一年間達成しようかというところです。 そう。一年間達成させようかと思っていたのですが、今日で毎日更

いつも、その席にいる人。

基本的に家で仕事をしますが、今の季節、外を散歩したくなるのと仕事が捗るという理由でカフェに行くことが多いです。 カフェの位置づけではないかもしれないけれど、たまにドーナツ屋さんに行くことがあります。リーズナブルなので、最近は高確率で行くかもしれないです。 ドーナツひとつと、温かい紅茶を毎回オーダー。言い方が良くないかもしれませんが、いつでも空いているドーナツ屋さんなので安心感があります。 テーブルも大きくて、PCもノートも広げられるのでなかなか良きなのです。 長時間座っ

自分の存在の確かめ方について。

私には家族がいて、一緒に住んでいます。 だから、私という存在が消えてしまった時、誰かがそれに気づいてくれるはずです。 何だかいきなり寂しい書き出しですが、本当に書きたいことは物理的な「存在」についてではないのです。 言うなれば「存在価値」に相当する部分となります。 存在価値の確かめ方となると、それはそれで何だかエグい感じがするので、できるだけウェイトの軽い部分で考えたいと思います。 自分の存在について、はるか昔、中学生の頃に毎晩のように考えていたことがあります。思春期ま

雨音の中に。

主要駅を始発とする夜のバスに乗ると、その空間は帰路に着く人の横顔でいっぱいなのを感じる。 皆がうつむき加減で背中を丸めて、手にしたスマホの画面を見つめている。 車窓からは水たまりに点々とする、雨の跡が反射していて、昼間のそれとはまったく違う景色となる。 光を集めたみたいに揺れているから、ずっと見ていたくなるけれど、信号が変わって遠くなっていく。 見えているものを話したい人は遠く、近くには静かに息をする知らない人の肩が見える。 雨音の中に、消えてしまえばいいのに。 雨

広い背中に思う。

分かりやすい答えを待っていながら その答えが聞こえそうな瞬間に 耳を塞いでしまいそうな予感がしている。 だから、答えを求めたくても 決して問いかけはしないのだ。 いつだって不明瞭なものは 不安定と同時に ずっとそこで佇んでいて 不思議な安心感を与えてくれる。

あなたがいてくれて、本当に良かった。

今日は幼馴染に久しぶりに会いました。春先にでも会いたいと思っていたところにコロナが発生し、夏場は私自身の体調不良などあり、やっと会えたというところでした。 私は学生時代、多くはありませんが転校も経験しましたし、引っ越しも数回しました。だから自分には「地元」と呼べる場所がないと長く感じていたところがありました。 結婚・出産して、ずっと同じ場所で子育てをしてきたことから、今では地元と呼べるものがあります。 そして幼馴染と言える彼女は、何だかんだと、度々会ってくれる貴重な存在

私が感動する映画を観ることができない理由。

毎日noteを書くことを日課としています。 これはもう、自分自身に対しての”苦行”でしかないのですが(笑)、毎日毎日書いています。 今日が339記事目なので、365記事までは毎日更新して、それ以降は辞めてしまいたいとふと頭をよぎるのです。けれど、今となってはそれすら勇気のいることのような気がしています。 まったくもって小心者だなと我ながら苦笑い状態です。 私のnoteは、毎日書きたいことを思いつきで書いているので、正直「スキ」をいくついただけるかを気にしていません。(でも

「自分らしく」の意味。

ここのところ、「自分らしく」の意味を考えることを、静かなテーマとして持っています。 思えば、小学生の「最高学年として」ぐらいから、「中学生らしく」「高校生らしく」「社会人として」「母親らしく」みたいな感じで、その時のステージごとに似たような意味合いの言葉がついて回っていたことに気づきます。 そして、いま頭にある「自分らしく」とは、ステージは関係なしに、自分そのものということです。これってすごく矛盾した言葉なんですよね。 自分は自分でしかないのだから、どんなものにも左右さ

HSS型HSPの、私の行動と未来を考える。

「繊細な人」とか「繊細さん」とかいう言葉に抵抗がありました。(本のタイトルにもなっているので、それを批判する意味ではありません。) 自分のことを「私、繊細なんだ」って、なんだか嫌だったからです。 とはいえ、世の中の流れから聞こえてくる「HSP」とやらが、自分そのものであることはネットのさらっとした情報だけで自覚するには十分でした。 その後、テストをしてみたら強度のHSPだと判明。 さらに、HSS型HSPという言葉を知って、「以下のうち半数以上が当てはまったらHSS型HSP

生きることと、働くこと。

遥か昔、中学3年生になった頃の私は、「大人になるということは、つまらない人になることだ」といった考えを持つようになっていました。 思春期だし、反抗期だし、受験期ということもあったでしょう。 ランドセルを背負っていた頃は、何か一つ秀でたことをすると、将来を有望視するような身勝手な発言をしていた大人たちが、一斉に現実を突きつけてきたように感じたからです。 それは今の時代も変わらないのでしょうし、じゃあ、他にどうあるべきなのかというと答えは出ません。 私自身、大学生と高校生の子

誰かの話を聴くこと。

私は自分のことを話すより、誰かの話を聴く方が好きです。 人は誰しも自分のことを理解してもらいたいという欲求があって、口火を切って相手がたくさん話をしてくれると心の中でニッコリと笑顔になっているときがあります。 ストレングスファインダーの第一位が「個別化」なので、その人の考えから個性を見出すことができて嬉しくなるのだと思います。 自分とは違う発想、自分とは違う判断の仕方、自分にはありえない展開。このどれもが声となって耳を通し流れてくると、とてつもない好奇心で胸いっぱいになるの

MacbookAir、二度目の入院か。

驚くくらいセンスのないトップ画です。 そして今日のnoteは、限りない自己満足とストレス解消を目的とした投稿になっています。 私の生活と仕事に欠かせない、愛用のMacbookAirの電源が立ち上がらなくなりました。非常に衝撃です。。。 昨日のこと、出先にてMacbookAirを開いたところ、画面が真っ暗のまま。うんともすんとも言わない。えーっと思ったのだけれど電源ケーブルは持ってこなかったし、あきらめてノートとペンで仕事を進めました。 嫌な予感を抱えつつも、帰宅して電源

元気をくれる人は、何が違うのだろう。

最近、わたしの周りに元気な人、元気な知り合いが増えました。知り合いというと何だか素っ気ないですが、友達というのとはまた違う感じです。 笑顔が素敵だとか、エネルギーを感じるとか、そんな言葉が似合うのですが少し薄っぺらい表現な気がしています。 そもそも、元気な人だと感じていますが、まだまだ知らない面だってたくさんあるのです。 元気をくれる人は、何が違うのだろう。 最近知り合ったのだから、知らない面があって当然。良い面しか見えていないことも事実です。 雰囲気といった、感覚的なも

伝え方の種類で、その人の個性が見える。

人は、伝えたい生き物だと思っています。表情で伝えたり、声の強弱で伝えるというのは、生まれた時から備わった「伝える機能」だと思っています。 新生児が泣く時、それは悲しいのではなくて訴えている状態だと気づきます。赤ちゃんにどれだけ感情があるのかは知りえませんが、まだ遠くまで視ることのできない状態で、悲しみを覚えるのかはいささか疑問です。 うちの息子は反抗期がありませんでした。 反抗期がないことで何が助かったかというと、もちろん日々のストレスがお互いに軽減されることも挙げられま