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わたしの目線。

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大切だと思うことを、「わたし目線」で記したもの。
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#写真

冷たい雨の日に思う、限りない言葉。

台風のニュースが流れるモニターを見ながら、午後の時間をカフェで過ごしました。店内はコロナ対策なのか、空調が強めでした。いったん上着を脱いだものの、寒くなって袖を通しながら、去年の千葉県の台風の被害を振り返る画が気になりました。 先日から、「これから自分に何ができるかを模索している」というお客様のコンサルをしています。 送っていただいた資料の文面に目を通しながら、文章から伺える様々な表情をピックアップしていました。 「過去の台風被害」と「未来を模索する」という、一見なんのつ

通り過ぎてきたもの、立ち止まる時。

体調の良い日は、散歩に出るようになりました。 娘に声をかけて、一緒に歩きます。 カメラとスマホだけ持って、マスクをしてでかけます。 これまでの私だったら、必ずお財布を持って出ていました。気ままな散歩をするにも、用があって出かける時も、どこかのカフェに立ち寄るのが好きだからです。 「カフェに行きたいなぁー」と、 どっちが大人なのか分からないような、ゴネるような言い方をする私。 とはいえ、そもそも目的が運動不足の解消だし、カフェもやっていないところも多いし、そもそもくつろげ

咲いて、散る。咲くを、知る。

外出自粛をし始めてから、決めたことがありました。 写真を、できるだけ撮ることです。 春。 ヘビー級の花粉症の私は、この時期は寝込むほど苦しむことが多いです。 昨夏ぐらいに咳が続いたのをきっかけに、アレルギー検査をしたんですね。夏だというのにスギ花粉の反応が最大値で、病院の先生に笑われました。 そして、「ピークの時期は、今まで相当苦しかったでしょう」と言われて、「そーなんですよぉーーー」とめちゃめちゃ頷きました。 そんなわけで、夏の終わりぐらいから薬を飲み始めました。 お

花冷えに、想う。

関東平野南部にしか住んだことのない私にとって、雪が降るということは、ちょっとしたイベントだ。 大人になったら、雪が降ることでいろいろ弊害があることを知ったけれど、幼い頃から自分の中に根付いている「雪が降るイベント」の意識は、なかなか変えられるものでもない。 先日、なごり雪と牡丹雪におおいに興奮したばかりの私だが、まさか、また降るなんて思いもしなかった。 外出自粛という状況でも、私の中の「雪が降るイベント」の意識を抑えることができなかった。 3月下旬以降に、都心で1cm以上

目で見たものが、嘘の本当になること。

この頃、コロナの影響・・・いや、花粉症の影響から、カメラを持って出歩くことができていない。note毎日更新で使う画像は、すべて自分で撮ったものにすると決めているので、ストックから探し出すのが少し大変だ。 最近、遅ればせながらインスタグラムを始めた。 何となく運用についてググったところ、「フォロワーを増やすために、イメージを大切にしましょう」「統一感のある写真を載せましょう」なんて書いてある。 そういえば少し前に、「インスタグラムの先生」のような方にお会いした際も、同じよう

目が合ったと、思ったら。

例えば一日家にいても、誰かとコミュニケーション取れるというのは、ワタシが子供の頃だったら電話だけだった。 今は令和。SNSで多くの人とコミュニケーションが容易に取れる。 改めて思うと、すごい進歩だ。 この noteだって然り。 こんな超一般人のワタシの、取り止めもない文章が誰かの目に触れるなんて、すごい世の中だ。 さて、多くのSNSの機能として「いいね」というのがある。 正直、この「いいね」をもらえると嬉しいし、アウトプットの励みになる。 先日、ちょっとした飲み会に参

場所見知りする、大人気ないワタシのこと。

「人見知り」という言葉はよく知られているが、「場所見知り」という言葉はあまり知れ渡っていないと思う。 「人見知り」でググると、意味が表示されるのに「場所見知り」でググっても意味が表示されない。この言葉は造語なのかもしれないと考える。 上の子がまだ赤ちゃんだった頃、生まれて数ヶ月はポヨーンと生きてウゴウゴしていただけの生き物だった。それが少し人間味?を帯びてくると表情も豊になってくる。 ベビーカーに乗せてスーパーに買い物に行き、お店の人に話しかけられてもポヨーンとしていた

だからワタシは、「猫目線」が好き。

カメラを趣味にしたいと思って買ってから、もう2年ほど経つ。 趣味と言えるほど撮ってないし、上手になってもいないけれど、カメラを持ち歩くこと自体に恥ずかしさはさほどなくなってきた。 あえて繰り返すが、2年経っても上手になったとは到底思えないのだが、ちょっとだけ「こだわり」というか、好きなアングルがある。 それが、「ネコ目線」だ。 ↑このね、noteのヘッダーみたいに、猫の目線くらいの高さからのショット。それが「猫目線」(=^ェ^=) ワタシの身長は153cm。この「ワタ

何を目的とするかで、同じ道が違うものに見えるから

毎日を単調であると感じるか 刺激を感じるか 気の持ちようではあるのだろうが 「刺激ある日々」と感じ続けることはなかなか難しい 一つ言えることは 目的があると充実するということ。 当たり前? 当たり前だなぁ。我ながら。 要は、意識するか意識しないかで、時の流れ方の感じ方が違うだけでなく 吸収できる情報量と情報の質が違うということが言いたい。 同じ道を通るのに 明後日のことを考えているのと 風や雲や草が互いに触れる音を聞いてるのとでは 得られる情報が全く違う。 どち