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わたしの目線。

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大切だと思うことを、「わたし目線」で記したもの。
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#自分らしさ

自分らしさとは。

数年前から、よく聞いているような気がする「自分らしさ」という言葉。 自分は自分でしかないのに、「らしさ」と付けるのはなぜだろう? 「らしさ」で思い浮かぶのは、高校の生徒手帳だ。 高校って・・・いったい何十年前の記憶なの?と思われるかもしれない。 けれど確実に、高校生の頃を思い出すのだ。 わたしは小学生の頃、転校を機にいじめを受けた。 特定の人物からだった。一度だけ親に言ったことがあるが、面倒がられてそれ以降は口にすることができなくなった。 トイレの個室にいた時に、バケ

他人と自分の、正しい比べ方。

誰かと自分を比べるのは良くないという考えについて、どう思われますか? 誰かと自分を比べる。 兄弟を比べる。 容姿を比べる。 学力を比べる。 「比べる」にもたくさんあって、比べるのは良くないとか、意味がないという考え方が一定数あるのは確かだと思います。 無意味な比較は何も生み出さないどころか、マイナスイメージになるからです。 ここで言うところの「マイナスイメージ」とは、つまりはマインドの話になります。 比べることで自己否定に走ったり。比べることで諍いになったり。比べること

自分らしくないことは、できない。

自分を良く見せることが必要な時があります。 それは好きな人に会う時かもしれないし、大事な商談や面接の時かもしれません。 見た目が相手に与える印象は侮れないし、何よりも見た目だけでも万全に整えることで自分に自信を持てることだってあります。 自分メディアを持つことが容易になった今、例えばSNSのアイコン一つにも「自分を見せる=魅せる」といったある種のテクニックといったものも必要になってきました。 私自身も「自分を良く見せる」ことで、何かを達成したりした経験があります。服装や表

何もないと思っていた私が、何かを持っていたことに気づく。

「一つのことを継続できる人が偉い」。 一つのことを継続するチカラが弱いと感じていた私は、こんな風に思っていた時期があります。 そして、継続できていることがない自分に、多少なりのコンプレックスを抱いていました。 自分責めをする性格ではないのでそれが悩みに至ることはありませんでしたが、何か自分をアピールしたい時には、継続力のなさが弱点に思えたことは確かです。 幼い頃から、自分の好きなこと以外に対する興味が著しく低い子供でした。興味がないものに取り組む意欲がないと、何が困ったか

嫌われるのが怖い人の特徴。

「誰かに嫌われるのが怖いですか?」と聞かれたら、多くの人は「はい」と答えるのだろうか? ワタシ自身の答えは「誰にも嫌われずにいるなんて無理でしょう」と、半分悟ったような諦めのような回答になってしまう。 これだけ多くの人が生きているから。 自分だって嫌悪感や苦手意識を持っている人の一人や二人・・・いやいや・・・もっともっと(笑)いるに違いないのだ。 これだけ多くの人が生きているから。 これだけ多くの人が生きているから。 嫌われるのが怖い人の特徴。 承認欲求というのはとて

角度の違い。意見の違いの先。

一つの物事に対して 同意する人もいれば、批判する人もいる。 また、 どちらの意見も尊重するという人もいる。 どれがベストということではなく 世の中のニュースや 学校教育のことや 福祉問題についてや 環境問題についてや・・・ それこそ、 一つ屋根の下に住んでいる家族ですら 異なる意見を持つ。 この現象や事実は当然のことなのだが、 日常で興味深く感じることの一つだ。 角度の違い。意見の違いの先。 さまざまな意見に触れると 「その人の価値観」が見えてくる。 そして、

自己肯定感が「本当は高い」人が、勘違いしやすい落とし穴。

この日本で、自己肯定感が高いと言うと「すごいねぇ、自分に自信があるんだ」と言われたりする。 はい。私です。 ただ、自己肯定感が高いのと、自分に自信があるのとでは全く違う。 その辺りの相違について説いても、場の雰囲気が悪くなると思い、笑って流してしまったりする。 飲みの場であったら、そんな感じでいいと考えている。 「大衆の前では、謙虚であるべきなのが日本人の美徳」みたいな考えがある。実際のところ、謙虚な人の中には本当に素敵な人もいるから、この考えを真っ向から否定するつもり

まあね。そうね。たぶんね。きっとそう。

一時、自分は人と話すのが嫌いだと思っていた頃があった。 主義主張を、まるで刃のように向けられた時だった。 まぁ、いわゆるクレーマーという類のものだったので、 私よりも周りの人たちの方が 「ひどくない!なにあれ!」 と言って代わりに怒りの雄叫びを上げてくれた。 集団の中の「個」に囚われすぎると 前に進めなくなる場合がある。 そんな時は、 淡々と、淡々と事を進めていくのが私流だ。 言葉に広がりは必要なく、 信念を貫くことに専念すればいい。 そして、平穏を待つだけなのだ。

視点を変える。見つける。

いろんな情報を得ようとしているつもりが 結局、偏っている気がしていた。 「いろんな情報」と思い込んで 見聞きしていたものは 例えばSNSで言うところの 『あなたへのおすすめ』みたいなものに 頼っていることに気づいたのだ。 それは私の得たいものとは 異なることに気づいた。 視点を変える。見つける。 私は論理的ではなく、感覚的な人間だ。 だから、 違う価値観に触れたりすると 自分の中で捲き起こる化学変化のようなものに 思いが溢れて涙が出てくることがある。 カナシクモ