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わたしの目線。

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大切だと思うことを、「わたし目線」で記したもの。
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#ありのままの自分

当たり前にしていることを知る。

もうすぐ2019年が終わる。 終わっちゃうの??? もう? という若干焦る気持ちと、 プラス1されて、皆んなが一斉に 「今年もよろしくね!」 なんて、びっくりするぐらい気持ちを切り替えているかのような言葉を発してしまう世の中が面白かったりする。 歴史や伝統それに習慣など、大切にすべき文化がある。 けれど時代が進むことで、私たちの環境はどんどん変わっていく。 物理的なものに加え、目に見えないものへの意識も変化している。 個人の価値観。多様性。 こんな言葉は、10年前の私は

とりあえず、やってみるを体感しよう。

子供の頃の私たちは 日々トライの毎日だった。 初めてやることの連続だったし 違う学年との交流や 違う学校との関わりなんかも 大人によって作られたプログラムの中で トライの毎日を、いつの間にか過ごしていた。 大人になったらどうかというと 厳密に言うと 日々何かにトライしていそうで 同じことの繰り返しという認識になりがちかもしれない。 だからこそ、 トライし続けるアスリートに魅了されたり トライしている人を見ると「すごいなぁ」と感じるのだ。 資格取得に挑戦したり 新しい

嫌われるかもしれない。が、嫌われる。

以前、派遣で勤めた会社でのこと。 普段とても話しやすくて、紳士なイメージの男性社員の方が 声を荒げているのを背で聞いて驚いたことがあった。 「○○さん、どういうことだよ! 何でそれ、俺に言ってくれなかったんだよ」 彼の言う○○さんとは、韓国人の方。 勢いよく責められて、小声で言い訳しているのでよく聞こえない。 その後に続いた言葉。 「俺ね、○○さんとは良い仕事をしたいんだよ。○○さん大好きだから。だからどんな事でもいい。話しして」 ここの会社のこの部署は、かなり

自分らしい事と、自分らしくない事。

最近の私は 仕事を手放すという、大きな決断をしたこともあって 「自己分析」とやらが好きだ。 占いとも違う、 膨大なデータから導き出される自分の特徴が 大いに的を得ていることに 感心しきりだ。 『自分の才能を活かした仕事』というと とても格好良くて。 完全にそうなれなくても、そんな仕事ができたらいいと思う。 昭和・平成を生きた人間として 履歴に光るものがない人間として 女性として このゼロからのスタートは かなりの勝負だ。 毎日のように 真っ白なコピー用紙に書く

人への興味を持つこと。

昨日の夜、大学生の娘が 「先輩と仲良くなるにはどうしたら良いだろう」と聞いてきた。 うちの娘は、 完全に『一般ピーポー』な雰囲気の子だ。笑 目を引くような美人さんでもないけど そこまで印象が悪いわけでもない 道を歩いていたら 「シャッター押してもらえませんか?」とか 「○○駅はどっちに行けばいいですか?」とか 気軽に声をかけられやすそうな 『一般ピーポー』。 もちろん、親の私も。 ただ性格も資質も全然ちがう。 私は自己主張の強いタイプだが、 彼女は自己主張したくな

どこにでもいそうな私が、他の誰でもない私になるために。

つい1ヶ月前に会社を辞めた私は、無職・無収入だ。 このままでいいわけがなく、生きる術を見つけていかなければならない。 自分の強みを活かすとか、活かしたいとか、幸福度の高い生活がしたいとか、理想だと言われればそれまでかもしれない。 ろくに知識も実績もなく、財力もない40代の女性が、何を夢みたいなことを軽々しく言っているのかと思われるかもしれない。 それでも、環境を変えることから始めるために、大きなものを手放したのだ。 もうすぐ2020年となるタイミングで、Twitter界

「自分」を作る要素を決めないことの意味。

2019年になって私の中に入ってきた言葉の一つに 『ストレングスファインダー』というものがある。 その人の持っている資質を34個の分類にしているもので 診断してみると「なるほど」と思える結果が出た。 周りの友人も興味を持った人が多く 声をかけて診断結果を見せ合った。 さらに「なるほど」だった。 見事にそれぞれの個性を表していたからだ。 そんな中、 34番目の資質が上位にない自分に 納得できない人から相談を受けた。 34番目=弱点 弱点は克服しなければならない こう

コトバが、ココロを、ツナグ時。

昨日、友達と話した時に、 「誰かが褒めてくれる言葉と、本当の自分にギャップがあって苦しい」 といったことを伝えられた。 「いやいや・・・そんなそんな」と謙遜しつつも 単純に受け取って喜んでしまう私にとっては 結構、衝撃的だった。 褒めてくれた誰かの本心を、 素直に受け取っても良いと思ったからだ。 それくらい、彼女は魅力的な人だったからだ。 褒めてくれた誰かも、 恐らくは心からの賞賛であるに違いなかった。 誰かに「すごいね」「素敵だね」と伝えるのも なかなか難しいもの