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コトバが、ココロを、ツナグ時。

昨日、友達と話した時に、

「誰かが褒めてくれる言葉と、本当の自分にギャップがあって苦しい」
といったことを伝えられた。

「いやいや・・・そんなそんな」と謙遜しつつも
単純に受け取って喜んでしまう私にとっては
結構、衝撃的だった。

褒めてくれた誰かの本心を、
素直に受け取っても良いと思ったからだ。
それくらい、彼女は魅力的な人だったからだ。

褒めてくれた誰かも、
恐らくは心からの賞賛であるに違いなかった。

誰かに「すごいね」「素敵だね」と伝えるのも
なかなか難しいものなんだな、と思ったのだ。


私は言葉が好きだ。


理論的でない私は、感覚的な人間だ。
自分の感覚を誰かに伝える時に
いちばん手っ取り早いのは「言葉」だと思っている。

そして、
手っ取り早いけれど
本当に伝えたいことが伝えきれないのも
「言葉」だと思っている。

ストレート過ぎても、軽くなるし
たくさんの言い回しを持ってしても、わかりづらくなる。

もちろん、
私の言語化能力のレベルもあるだろうが。

活字には表情がなく
表情を持たせるための文章は
相手の脳に認識されて映像となるが
その映像は
私が伝えたい世界と一致することはない。


言葉を受け取った人のココロの状態によって
私のコトバがどんな風に受け取られるかは知り得ない。

だけど、
大切な人には「大切だよ」というコトバを使いたいし
大好きな人には「大好きだよ」というコトバを使いたい。

とにかく、嘘なく伝えたいのだ。


本当の気持ちは
簡単には伝わらないと思っているからこそ、
私は書くのだ。


コトバが、ココロを、ツナグ時。

その瞬間を

感じたいがために、書くのだ。


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