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昔 あけぼの シンデレラ 令和落窪物語 第十四話 第五章(2)

あらすじ
平安の時代に書かれた『落窪物語』は、我が国色のシンデレラ。
令和を生きる方々に、わかりやすく解説を加えながら、創作部分もふんだんにリライトしました。
貴族の姫として生まれながら、幼くして母を亡くしたおちくぼ姫は、父の邸に引き取られ、意地の悪い継母に虐げられる日々を送っておりました。
心を通わせあい、とうとう結ばれた姫と右近の少将。
新婚の二人は幸せな気分に包まれますが、秘密の結婚なので婿を世話してくれる人はいません。
阿漕の機転でなんとか体裁は整いましたが、通い三日の宵は大雨に・・・。
大事な夜に少将が来られないと聞いた姫は落胆します。

  秘密の結婚(2)

新婚二日目を迎えた朝はしとしとと雨が降っていました。
少し雨脚が収まってからということで少将はのんびりとして姫と語らっておりますが、姫は内心少将をおもてなしできないのが残念で心苦しくてなりません。
この時代の婚姻形態は先にも書きましたが「通い婚」というものです。
陽が暮れると女性の家に夫が通って来て、朝になると帰ってゆくというスタイルなのです。そうして帰ってゆく場合もありますが、身分の高い貴族は大切な婿君として食事や洗面の世話をして、装束を召しかえて内裏へ送り出すというようにもてなされるのです。
三の君の婿君・蔵人の少将などは未来の出世頭として北の方みずからが陣頭指揮に立って日々もてなしているのですが、何しろおちくぼ姫の結婚は秘密のものですし、誰もいないこの邸ではそれどころではありません。
少将は姫だけを望んで結婚を申し込んでくれましたが、はやこうした惨めな状況が訪れて、姫は辛く情けなく、笑顔も愁いを帯びたものになるのでした。

阿漕は姫が恥をかかないように、むむん、と頭をひねりました。
いくら人がいないといっても下働きの飯炊きのおばさんはちゃんと台所にいるのです。うまく言いつくろって食べ物を分けてもらおうと台所へ向かいました。
「おばさん、おはよう」
「あら、阿漕さん。おはようございます」
「実はねぇ、私の夫の友達がこちらへ泊まったんだけどこの雨でしょう。なにか食べる物をだしてあげたいのよ。わけてもらえる?」
「ちょっと待っていてくださいよ。簡単にこしらえましょう」
阿漕は自分よりも身分の下のこうした人たちにも普段から気さくに声をかけているので、とても慕われているのです。
「お酒も少しならありますよ」
気のいいおばさんは瓶を指さしました。
「あら、うれしいわぁ」
阿漕は瓶子(へいし)を取り出すとお酒を注ぎました。

いろいろと食べ物を手に入れた阿漕は部屋へ持ち帰り、女童のお露を側に呼びました。大きな瞳が愛らしく、肩までの髪がふさふさと賢そうな娘です。
「お露、この食べ物を少しずつきれいに御膳に盛ってちょうだい。残った分は後で一緒にいただきましょうね」
「はい、阿漕さま」
お露が好きな甘い煮物などもたくさんあります。
お露は嬉しくなって一生懸命きれいに盛り付けました。
さて、阿漕にはまだまだやることがたくさんあります。
姫は洗面の道具などもお持ちではないので今留守にしている三の君のものを拝借することにしました。
そうして阿漕は自分も化粧をして身支度を整えると御膳を額ほどまでに高く持ち上げて恭しく、姫の部屋へと運びました。

「お姫さま、お目覚めですか。失礼いたします」
阿漕が女房らしく御前を並べ、洗面の道具を運び込み、かいがいしく世話を焼いたかと思うと、可愛らしいお露が食べ物やお酒を運んで給仕をし始めました。
少将はこの姫には世話をしてくれる者などいないと聞いていたのに、と驚きましたが、すべては阿漕の機転なのだろうと快く好意に甘えることに致しました。
「姫も一緒に食事をとりましょう」
「はい」
そうは言ったものの、姫は阿漕の心遣いがありがたくて、胸がいっぱいになって何も食べることができませんでした。
少将は時折冗談を言ったり、姫に愛の言葉を耳打ちしたりして、和やかに食事をし、そして雨がしずまった頃に帰って行きました。

「阿漕、ありがとう。このご恩は一生忘れないわ」
「姫さま、私からのせめてものお祝いですわ」
姫に心から労ってもらえるだけで、阿漕には充分なのです。
「お姫さまはご結婚されたのですね。おめでとうございます」
お露にも事情がわかったらしく、美しい姫が顔を輝かせているのを見て嬉しそうです。
「ありがとう、お露。さぁ、一緒にご飯を食べましょう」
お露は優しい姫君と阿漕が大好きでした。いくら幼いと言ってもおちくぼ姫のこの邸での扱いなどを知っています。阿漕の様子からもきっと秘密のご結婚なのだろうと察して、言われるまでも無く誰にも言ってはいけないことだと悟りました。

ほどなくすると少将から後朝の文が届きました。

よそにては なほわが恋を ます鏡
   そへる影とは いかでならまし
(あなたと少しでも離れただけで恋しい思いがこみ上げてきます。あなたが眺める鏡に映る影のように一緒にいられればこれほどのことはないでしょうに)

この朝は姫も少将に返事をしたためました。

 身をさらぬ 影と見えては ます鏡
    はかなくうつることぞかなしき
(あなたと同じように私も恋しさでいっぱいです。鏡は人の心を映すといいますから、いつかあなたの心に別の女性が映ったらと思うと悲しくて仕方がありません)

その手跡は柔らかく見事なもので、素直に少将によせた恋心を詠んでいます。
あの美しい人が自分を恋しいと言っている、それだけで少将は天にも昇るほどに嬉しくなるのでした。

さて今晩は少将が姫を訪れて三日目の夜。
「通い婚」というのは女性の元へ三日続けて通うことで成婚となるのです。
ですから三日目の夜というのはことさらに特別なもの。
普通ならば露顕(ところあらわし)の儀を行う晩です。これは娘親が親戚や親しい人たちを招いて婿君を披露する宴のことですが、姫の結婚は秘密のものですので無理な話というものでしょう。
しかし夫婦固めの『三日夜の餅(みかよのもち)』は姫に差し上げたいと考えた阿漕はまたお金持ちの叔母さんに頼ることにしました。
叔母さんは快く引き受けてくれて、陽が暮れる頃にはお餅をよこしてくれるようです。
阿漕はそれまでにはと姫の支度を整え始めました。
「お姫さま、もうすぐお餅も届けられますわよ」
「お餅?お餅をどうするの?」
姫はこのお邸に来てから縫い物ばかりをさせられていたので、こうした婚姻の一般常識も知らないのでした。
阿漕は姫の髪を梳かしながら夫が通ってくる三日目に夫婦の誓いとしてお餅を食べるのが習わしであると説明しました。

お餅は現在でもお正月に食べられるものですが、御祝い事には欠かせないものでした。お餅自体に霊力があるとされ、成婚となる夜に夫婦は生涯を共にするという願いをこめてこれを食べたのです。
「つまりこれで晴れて少将さまとお姫さまは正式な夫婦になるということですわ」
「そうなのね」
姫は幸せそうに微笑みました。
ところが準備万端に整い、後は少将さまが来るばかり、と待ち構えていたところに烈しい雨が降り出しました。
とても出歩けるような状態ではありません。
阿漕はこれでは「三日夜の餅」どころではないとあきらめましたが、姫の顔は暗く沈んでいます。
「雨でなくても訪れはなかったかもしれないわ」
いつのまにか少将を待ちわびている自分が恥ずかしく、落ち込まずにはいられないおちくぼ姫なのです。
もともと幸せとは縁遠い暮らしをしてきたもので、やはり昨夜のことなどは夢ではないかと疑いながら、もしも北の方に知られたらと背筋が冷たくなるのです。
幸せはほんの一瞬。なんと儚く感じるのでしょうか。

少将も恨めしそうに烈しく降る雨を眺めておりました。
「姫に会いたくて仕方がないのにこの雨とは」
「少将さま、夜離れではないのですから姫君を慰めるお手紙を書かれては如何ですか?」
「そうだな」
深い溜息をついた少将は心をこめて手紙を書きました。

あなたに会いたくて仕方がないのになんと憎い雨でしょうか。
昔から仲の良い夫婦は嫉妬されるものですが、まるで天が私達を妬んでいるようではありませんか。一夜隔てられたからといって私達の愛が何も変わるはずもありませんが。

姫はやはり少将がおいでにならないのが悲しくて歌をさらさらとしたためました。

世にふるをうき身と思ふわが袖の
    ぬれはじめける宵の雨かな
(今でもこの世にあることが辛いと思うわたくしの袖が、あなたがお越しにならないということで、もう濡れています)

この手紙を読んだ少将はいてもたってもいられぬほどに姫が恋しくて仕方がありませんでした。
隣ではやはり妻の阿漕からの文を読む惟成が憂鬱そうな顔をしております。「惟成、顔色が冴えないな。私のように結婚したてというわけではあるまいに」
「いやはや、阿漕の気の強さに辟易しているところでございます」
「どれ、見せてみよ」
そう言いつつ手紙を読んだ少将はその遠慮のない内容に見なければよかったと思わずにはいられません。

こういう時でこそ男の誠を示すときではないの?
あなたたちは泥人形じゃないんだから、雨で溶けることもないでしょうに。

「結婚すると女人はこのように変わるものなのかな?」
少将の素朴な問いかけに惟成は思わず笑みをこぼしました。
「それはお姫さまもそのように変わるかとお考えですか?阿漕は最初(はな)からああでございますとも。いつでもまっすぐ一生懸命。自分のお姫さまが第一なのですよ」
「お前はそれで平気なのか?亭主が一番というのが普通だろうに」
「可愛らしいではございませんか。私はそんな阿漕に惚れているのですよ」
「・・・うむ。そうだな」
本当に愛する人を見つけた少将には今ならばその惟成の言葉がすんなりと受け入れられるのです。
「惟成、お前はあちらに行くのか?」
「は、阿漕の機嫌をとっておきませんと」
「ならば私も行こう」
「このような大雨ですよ。牛も進まないので徒歩でなければ無理ですが」
「お前は歩いてゆくのだろう?ならば私も歩いてゆくとも。考えてみれば通い三日目ではないか。ここで行かねばなんとする」
「それはお姫さまもお喜びになるでしょう」
少将は下人のような粗末な衣服を身につけ、大傘を差して、表へ出ました。





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