わたしと地球を満たす滋味「CIMI restorant」〈今日もひとりでレストラン〉
そもそもこんなにも疲れを感じているのは、この夏の酷暑のせいだったのかもしれない。
2024年の夏を思い返せば、ここは「中東砂漠」ならぬ「東京アスファルト砂漠」かと思うほど。死を感じるほど危険な暑さで、連日死に物狂いだった。あまりの暑さにカラダは疲れ果て、誰もがクーラーを欲し、ギリギリなんとか夏を乗り越えた。と言っても過言でもない。
災害級の暑さが続くあまり「気候変動」という言葉が皮肉にも市民権を得た2024年。
「今年はこれまでにない猛暑」と、ここ数年の定型文がTVから聞こえる。
街では連日「暑くて死にそう」と誰かが言う。
地球からは「もう限界かもしれない」と聞こえた気がした。
この夏を生き抜いた全ての人類にお疲れさまを。そして、地球には最大限の労いを送りたい。そんなことをふと思う晩夏の夜、自分も地球も喜べるレストランへ。
「地球を、自分を、労るやさしさ」に出会えるレストラン
半ば陽も落ちた、10月の土曜日。南新宿の住宅街に暖色のあかりが灯る小さなレストラン「CIMI restorant(チミ・レストラン)」。
「人と地球が一緒に健康になれる料理とは?」
をテーマにしたこのレストラン。レストランの綴りが「restorant」なのはレストランの語源でフランス語の「restaurer」=「元気を取り戻す」から派生した英語「restore」=「回復」の意味を含んでいるからだ。
そう、ここでは食べる人だけでなく(人に例えるならば)心身のバランスを崩しているであろう地球も労る料理が味わえる。
それは、どのような環境(土壌)で育てられた食材が、どのような人(作り手)を介してに届けられ、どのように料理され、どのように食べられ(食べ手)るのか?
そんな、人と地球の循環を軸に“みんなが” おいしいと思えるレストランだ。
テーブルに着くなり、おまかせで頼んだワインは栃木県「ココ・ファーム・ワイナリー」の白ワイン。まずはひと口。キュッと喉をとおるアルコール分が、カラダのスイッチを一気にオフにしてくれる。
グラス越しに揺れるロウソクの炎を眺めながら、ざらっとしたレッドシダーの大きな円卓で、今晩の食卓を一緒に囲む他の客と共に一皿目を待つ。
「先週、長野でフィールドワークをしてきたので…」
と運ばれてきたのは、野菜、豆類、穀物で構成されたプラントベースな3皿。
一皿目は長野県産…いや、むしろ長野の鈴木さん産のお豆のサラダ。1週間前に催されたCIMIの長野フィールドワークの際に、鈴木さんから分けてもらったというお豆だそう。黒く平たい豆と、季節の移ろいを感じさせてくれる落花生は箸で一粒ずつチミチミと食べたくなる。
食べ終わる頃には、会ったことのない鈴木さんに「お豆、ありがとう」とお礼を言いたくなるような、そんな愛おしさがふつふつと湧いてくる一皿。大人になってよかったなとしみじみ思うのは、わさびの辛さ、山菜の苦さ、豆の地味な味わいを粋だと思えるようになったことだと思う。
2皿目はピンポン玉くらいの小さな玉ねぎがやさ〜しく、じんわ〜り、あま〜く口の中で溶けていく尊さと、豆の甘みと旨みの奥深さに包まれる煮込み。トマトの酸味が効いた煮汁は、レストランのお隣「パン屋塩見」による薪窯焼きのカンパーニュに最後の一滴まで浸して食べ尽くしたい。
長野らしさが詰まっていたな、と思ったのがきのこのそばがき。
正直、そばがきは得意じゃないのだけれども、数日経った今でもその滑らかさが忘れられない。時折ふわっと広がるゆずの香りがアクセント。
地味ながらも、噛めば噛むほど広がるきのこの香りとそばがきのその控え目さは、まるでオシドリ夫婦のようだった。まさに「CIMI=滋味」な一品。
メインディッシュの前に届いたのは、熱々のなすとかぼちゃのフリット。東京・青梅市の循環型農園「Ome Farm」のなすを、まずは熱々のうちにひと口。衣に使われている米粉とひよこ豆が香ばしく、カリッと、そしてとろっと。
ふた口目は、添えられた桃のチャツネをつけて。
すると、東京・青梅から一気に異国へと連れ出してくれるような不思議な味わいが口いっぱいに広がる。野菜の素朴な一面と、スパイス香る桃のチャツネをまとった時の魅惑の味わいは、おいしさと言う名の少し先へと誘ってくれるよう。
日本の自然を慮るメインディッシュ
さて、そろそろお腹の調子もクライマックス…といったところで満を辞して登場するのがメインディッシュ。ジビエ「鹿肉」を使ったローストだ。
近年、さまざまな環境要因から(大元を辿れば人間の都合なのだが)増えている鹿。森林の生態系崩壊が危惧される中、ジビエ食を食べる意義、食肉を選ぶ前に考えてみたい命についてなど、さまざまな問題について考えるきっかけになる一皿。
自然環境の課題として見逃せない素材のおいしさと、選ぶ意味どちらについても舌に訴えて伝えてくれる。
宮城県・牡鹿半島で狩猟をされている小野寺さんから届く命のお裾分けは、どんなブランド肉よりも貴重なごちそうに他ならない。
一口サイズのむっちりとした鹿肉を頬張れば、その柔らかさと肉の旨みに思わず「くぅ〜!!!」っと声が出た。栄養面でも申し分ない鹿肉は、唸りたくなるほどの旨みで満ち満ちとしていて、とんでもないエネルギーに食べた瞬間から満ちていくような感覚すら感じられる。
「鹿肉はちょっと(NGです)…」なんて言う人にこそ、一度試して欲しい。
絶妙な火入れ加減で柔らかくローストされた肉は、匂いのクセもなく、最後の一口まで噛み締めたくなる。
社会的な倫理や正義も大切だけど、おいしい、だから食べたい。と思わせてくれるメインディッシュの存在は強い説得力がある。
最後は秋の気配かおるデザート。
どんなに食べても欠かせないデザートは、さっぱりとした豆花。
東中野にある豆腐の名店「小野田豆腐」の豆乳で作られたコク深い豆花を、上品な甘さの余韻を残す梨のコンポートと一緒に。
爽やかなすだちの香りが、これから始まる秋を予感させてくれるデザート。
食べ終わる頃には、お腹も心もじんわりと満たされる全6品はあっという間だった。食材をとおして土地土地の風を感じ、大地に、地球にありがとうと言いたくなるそんな料理だった。
「ごちそうさまでした」と伝えて店を出るとき、夏の疲れはもうすっかりどこか彼方へ。
扉を開けて秋へと向かうわたしのカラダは、心は、じんわり整い満たされた。
これ以上、負担をかけられない地球にこの夏のねぎらいを。日頃から少しずつ、思いやりを。
「おいしい」って、そういうことなんだと思う。