5ヶ月と8日。ホコリをかぶったトーク画面
突然音声通話が出来なくなったLINEを再ダウンロードしたのは4日前。
携帯電話以上に、携帯電話としての役割を担うこのアプリ。音声通話というツールが不調になり思ってた以上に不便だった。なすすべなく、一度アプリを消して再ダウンロードをした土曜の朝。
なんとなく仕事に熱が入らず、デスクに座ったもののボーッとしていた水曜の午後。どんよりした空を眺め、私はいつもどおり、慣れた手つきで検索窓に元カレの名前をフリックで打ち込む。別れて5ヶ月と8日が経過したというのに、携帯の予測変換は、一文字打てばさっと求めている名前を差し出してくれる。
いつもの様に開くトーク画面。5ヶ月と8日の間、そしてこれからも更新されることのない、私と元カレの、まるでホコリをかぶったトーク画面。
「あれ、消えた」
最後にやりとりした2023年4月の噴き出し。が、ない。そこに残るのは、まだ付き合う前のほんのりと温い、いつだかのやりとり。
トーク画面の吹き出しのように、思わず言葉が漏れた。
いつも私を待っていてくれた、ホコリをかぶったままの2023年4月の噴き出し。元カレから送られた、ありがとうの言葉。私とソラ(私の愛犬)の健康を祈っているという言葉。そして「さよなら」ならぬ「それでは」で締めくくられたその言葉。
不意をついて それ は消えていた。
くるしゅうない、くるしゅうない。なんてことない、なんてことない。おまじないのように「心配無用」のニュアンスを含む言葉が、頭を駆け巡る。そう、アプリを消して、再インストール。トーク履歴はてっきり保存されていると思っていたが、消えていたのだった。
別に未練はない。
ただ、浸りたい時があるだけだった。元カレとの思い出が何気ない日常の中でたまに通りすがるように、思い出じゃない、形ある言葉に触れたい時があっただけ。夏場になぜか温かい湯船が恋しく感じる時のように、ちょっと浸りたい時があるだけだった。
疲れた時にビタミン剤を飲むように。頑張らなきゃいけない時にレッドブルを手に取るように開いた、あのトーク画面とあの日の吹き出し。データなき今、触れることができなくなった言葉。別れてから5ヶ月と8日、読み返しすぎて暗唱できるけれども、もういない。彼の顔は思い出せるけど、生身の彼がもう私の前に現れなくなったように。姿も形もなくなった。
形あるものは全てなくなる。永遠なんてないのだから。
どこかの誰かの言葉がふとよぎる。一生分のうちの5ヶ月と8日。人生の短すぎるわずかな期間を私を支えてくれた最後の言葉は、アプリと一緒にあっさりと消えていった。
そうやっていつか、彼の顔も思い出も言葉も、記憶すら消えていくのだろうか。いやあ、まさか。きっと、ないだろう。
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