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経費は経費でちゃんと落としてほしいし(ただし適切に目的を開示して)無課金至上主義は絶滅してほしい

ドラマになる前から書店に並んでいた「これは経費で落ちません!」が好きでコミカライズも含めて読んでるのだけれど。

作中に「契約社員がショールームを自腹で飾っていること」を指摘する場面があるのだけれど「評価されたいのであれば尚更自腹は切ってはいけない」と主人公から指摘されていて「いやほんまそれな〜〜〜!!!!!!」と思う私ですよ。

◎ 美術芸術エンタメ界隈に限らず無課金至上主義やめてほしい件

子供の頃は母親にうちはお金がないお金がないと散々言われていたので、お金は倹約するものだと思っていたけれど、父が「お金は使っていないと回ってこない」と真逆のことを言われてまあピンとこなかったんですが。
大人になってなんとなく思うのは「確かに出費に関しては予算は無限ではなく上限がある以上要不要は見極める必要はある。最近は無料サービスでも十分見栄えのするものもたくさんあるし、思っているより廉価にできるものなども増えている(印刷など) しかし、それらのすべてを一緒くたに『お金がかかるから』と言って検証検討見積もりも行わずに『自分たちの手作業でできるから!』と結果的に費用や手間が嵩んでいることを考慮しないでやろうとすることや、『課金はしたくないが成果としては【重課金×手間もしっかりかける】と同じものを【無課金×ほどほどの手間数】で得たい』などが増えすぎてる」と思っている。

【無課金×みんなで頑張ろう!💪✨】のようなノリを強要されたところで非常に困るんですよね・・・いわゆる『お気持ち』に依存しているのはそれはポジティブな環境でのみ適応されるのであって、人の善意にあぐらをかいていると秒速で崩壊する、ということをもっとちゃんと人間理解するべき。なんかこないだもどこかで見かけたような話題だけど、少し上の世代の人、ないしその世代の人に育てられた下の世代の人は「期間限定だけど劇団マインド!みんなで作ろう!」という感じだけどそこと絡みのない人々は「いやプロデュース団体だが???」の対立構造かな・・・?と思っている。

ビジネスとして「依頼内容はこう、金額はこう、この範疇はしっかりやってくれ」と言う方が絶対後腐れもないし依頼範疇含めて同意をとることでズレもなくなると思うのに「お金の話をするなんて人でなし!」扱いをされることも多々あり。

けど無課金マインドで続けてる人って、その自分の中での成功例を商業ベースに乗ってる人に対しても押し付けるところあるんですよ。「自分たちでやってた時にこれぐらい結果できてた!」とか。

無課金ないし誰かの労働力でその時はプラスになって、それが成功体験になっているのは別に自身に対しての自信としては否定はしないであげたいけど、成功しているのってそこのポイントだけじゃないはずなのよね。その時の社会状況、時期、作品が良かったとか全部複合的に絡み合って成功しているので、その要素だけ切り出して「無課金でもできるはず!課金するなんておかしい!!!」と何度言われたことか。

誰かの無償労働って、どこかを意図的に下げる、マイナスを負担させる、それを善意だとかやる気だとかの綺麗なことばでコーティングして負荷をかけるのって、絶対続かないし、長期的に見たらマイナスだと思うんだけどな。
そのためにも、最低限「材料費」であるとかかかった経費は出すべきだし、
プラスになったのであれば何かしらで還元はするべきだと思う。

加えて、ちゃんとそこの効果測定も管理者側がするべきだな、と漫画を読みながら独り言



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