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型の芸術 表現はまず技術ありき

大人になってるので電車で本を読むも黙読。
声に出して本を読むなんて、高校生の授業までで卒業、ましてや大人になって声に出して朗読するという状況なんて本当にない。役者以外。ちなみにこれ、個人的には結構好きでした朗読。あまり人には話したことないんですが、中学の時英語劇をやっていたせいか授業で充分なレベルには声は出せるし、初見である程度は読めるんです。あとは普段、周りに良いお手本の皆様がいらっしゃるので。

というか、初見ないし数度黙読した程度で音読しようとするなら理解できると思うんですけど、「そこに書かれている文字を一言一句違えずに読み上げる」ことって、実はかなり難しい。じゃあ2回3回で仕上げるとか、ましてやそこに台本がない状態で話すのって…役者すごい、声優さん、すごいよなぁと思えるところです。

やたら、「表現力がー表現力がー」っていうけど、表現力ってじゃあ何?って思う。具体的に説明できないじゃない、と。それは基本的に技術に立脚したものであるのだから、技術が伴わない高度な表現力なんて存在するはずない。やたら、「ボツになってたのに拾われて敗者復活!」とかそういう漫画的な展開をみんな期待するけれど、何をいうのか。

ただ普通に、その普通にというのを当たり前のように行うことがまず難しいことがわからない人に、一方的に型破りとかできるわけがない。私はそう思う。


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