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距離感と手作りの温度

最初の緊急事態宣言があけてその時起算で5ヶ月ぶりに劇場に舞台を観に行ったのは先述の通りなのだけれど。

演目もさることながら、やっぱり私は演劇がいいなと改めて感じる。

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"全てのカクテルの中のカクテルよ、我が願いをかなえたまえ"

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「子供騙し」と言う言葉がある。まああんまり好きではない言葉なのだけれど。まあ見え透いている薄っぺらな、というところなんだけど、舞台は基本的に『騙す』『嘘をつく』場所ではあるという超!!!!大前提があったりする。

どうしても距離はある。絶対的にある。

ここ2年間で圧倒的に距離ができてしまった。空気を共にする、というのが難しくなった。
オンラインであれこれ、というからこそリアルコンテンツとかの空気感というものが結構貴重で実は得難いものだったんだなということを実感しているのだけれど。
だからこそ「手作りの温度感」が恋しくなるのかなとも思う。

この場合の手作りは「子供っぽい」とか「若干のチープさを感じる」というのではなく、機械的に作っているのではなく”手をかけている”のが見える感覚。言語化はしにくいのだけれど。生産者の顔が見える農作物みたいな?
やっぱり企画が大きくなる、関与する人が多くなればなるほど無機質な印象を受けるし、自分も結構感情を入れずに(下手に感情を入れると仕事はしんどいから、結構意図的に引いてする様にはしているけれど特にという意味で)やってはいる。
そことは相反するところにあると思うけど、丁寧に物事作ることができればいいな、実際は難しくても、それが伝わる様な仕事を手掛けられればいいなとはやはり思う。

まとまらないね〜〜〜〜でも2年放置してた書きかけnoteだからさっさと出すよ!

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