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大学生活1枚目のルーズリーフ

・やりたいと思ったから学んでいる。
・学ぶことは楽しみであり、娯楽である。
 だから、成果主義も完璧主義もいらない。
・いま楽しく過ごしていれば、将来も自ずといいものになっていく。
・「生活にメリハリ」「知る快感を味わう」「タスクを消化する達成感を得る」
これだけが学びの目的である。

これは、大学の勉強で使うバインダーの1枚目に入れたルーズリーフの内容。
今日から通信制大学での学びが始まった私から、この先の私へ。絶対に忘れないでいてほしいことを書いた。

私は好きなことの勉強のために、とりあえず1年間大学に在籍することにした。
この紙は、その1年間毎日見るものになる。というか絶対見る。



やりたいと思ったから学んでいる

勉強スケジュールに追われる学生生活なんてしたことない私。
「やりたい」で始めた勉強が「やらなきゃ」になるのが一番怖いことだ。
「やらなきゃ」になった時点で、そこには勉強に対するマイナスな感情が生まれているから。

高校までと違って、私は学びたいことがあるから大学に入ったんだ。
一度は社会人になって、もう諦めていた学生というものになったんだ。


学ぶことは楽しみであり、娯楽である。だから、成果主義も完璧主義もいらない。

有名な「繊細さんの本」(著:武田友紀)に、HSPの人はいいものを味わうことを自分に許可すべきとの内容があった。
そもそもHSPの人は、何か自分が楽しいことをするとき「非生産的では」「時間のムダでは」と考えてしまうという。そんな成果主義から外に出よう、と著者は促す。

この「非生産的」「時間のムダ」という考え、まさに私だと思った。
何か新しいことを始めるにも、趣味をやるにも...頭にそれらがよぎる。結果的に罪悪感を抱えながらやるから、十分に楽しめない。

さっきの「やりたいと思ったから学んでいる」の続きともいえるが、私は絶対に○○になりたい!といった目標があって大学に入ったわけではない。単純に学びたい、そして学びを楽しみたい。
課題もあるけれど「学びたい」が主目的だから、レポートやテストの成績はほどほどで良いだろう。資格を取ったり就職するような「何者」かになれなくても良いだろう。
完璧主義に押しつぶされて、先も言った「やらなきゃ」状態にはなりたくない。


いま楽しく過ごしていれば、将来も自ずといいものになっていく。

大学に入った目的は、学びたいから。
将来の展望も、決まった目標も今はない。

前職を辞めてから約1年ニートだった。
ときどきWeb制作やデザインをやるけど、不定期で1年間でも数回だった。

そこから学びたいことができて、大学に入ったわけだけど...将来の不安はずっとつきまとっている。
ましてやコロナ禍。
大学で学んだあとは?ちゃんと行けるところあるの?
考えだしたらキリがないと思う。

でもそんなものは考えてもムダで、人生なるようにしかならない。
何度も言うが、私は学びたい。学びを楽しみたい。
その気持ちにとって、先の心配は障害物でしかないのだ。

まずは今、楽しんでとにかく吸収する。
その先を考えるのは、後になってからでいい。


「生活にメリハリ」「知る快感を味わう」「タスクを消化する達成感を得る」これだけが学びの目的である。

ニート期間でやばいな、と思ったのは生活リズム。
やるべきことがないから不規則でも問題ない。
これは体に良くないと思ったことも、大学に入った一つの理由だ。

学びたい。そして学ぶことは楽しい。
好奇心や知識欲は昔から旺盛な方だった。クイズ番組や、好きで始めた資格の勉強は快感になる。
しかし社会人からの勉強では、楽しさより「覚えなきゃ困る」「成果を出さないと」ばかりで、知る快感は置き去りになっていた。
だから、もう一度それを味わいたい。

やるべきことがないのは、漠然とした不安がつきまとう。
許容量の「やらなきゃ」は抱えきれないけれど、ほどよいタスクは日々を生き生きと過ごせる栄養になる。
仕事に関しては、クリエイティブな方ではなくどちらかというと単純作業が好きだと思う。そういう作業をこなすときは快感だ。
学びを日々の中のタスクと捉えたときには、「毎回90分・全〇回の講義を見る」という数字のある作業といえるだろう。
決まったことを達成する。これだけでも自己肯定感は上がりそうだ。


何のために学ぶことを選んだのか

これまで書いてきた通り、私は油断するとすぐに「自分の楽しみ」を忘れてしまう。純粋な快感を楽しむセンサーを封じてしまうのだ。

だから書いた。バインダーの一番最初。
開けばかならず目にするところ。

毎日勉強しようとバインダーを開くたび、自分に言い聞かせていきたいと思う。

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