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「お金」はなんの対価か。~蟻地獄の底に囚われないために~
「お金」をもらえる理由は、ほとんどの場合、「何かを提供した対価として」である。そうして「何かを提供した対価として」お金をもらう行為を、多くの場合、「仕事」とか、「働く」とか呼ぶわけだ。
では、「一体何の対価としてお金をもらっているのですか?」と問われれば、疲弊、消耗して働いている人たちは、「我慢の対価として」、最前線で道を作る人や、面白いことしてる人たちは、「価値や意味のあるものを提供して得られる対価の一部」と答えるのではなかろうか。
こと自分に関しては、非正規雇用労働者として過ごした時代は不満があっても愚痴るばかりで改善案の提示など出来なかったわけだが、その理由は「給与」を「我慢の対価」としてしか捉えていなかったからに他ならない。
「きつい仕事を我慢してやる対価」、「疑問や違和感があっても主張せず我慢する対価」そう捉えていたわけだ。
だから、お金をくれる雇用主に対して「きつい」という主張はできない。「これってなんのためにやっているんですか?」という質問ができない。「こうしたら良くなると思います」という提案ができない。
なぜならそれをすべて押し殺して我慢することがお金をもらえる理由だと思い込んでいたからだ。
その結果何が起こるかというと、先述の愚痴大会だ。
主張したら意見を聞いてくれるという信頼感がないわけだから、上に意見しようという気にはならない。だから、「どうしたら良くなるか」という視点もない。となると、横ならびの者同士で、「いかに不満か」「いかに苦しいか」「いかに楽しくないか」という話しかできない。そして、「でも、我慢するしか無いよね。だって、お金をもらってるんだから」となる。そして、「我慢したくないなら辞めるしかないよね。でも、ここでやっていけないんだったらどこに行ってもやっていけないよね。」と。
この、「ここでやっていけないんだったらどこに行ってもやっていけないよね。」という言葉はめちゃくちゃ強力な呪いで、「辞めるのは逃げだ!」そういう思考回路にさせる。
誰かが抜け出そうとすれば、残るように説得しだす。自分が辞めてできる穴を人に塞いでもらうのに相当な負担をかけてしまうから辞めれない、そんな気にもなる。そうして、そのコミュニティに居る限りは永遠に、全員で渦を巻き、下へ下へと落ちていく。
はっきり言って、お金を貰える理由を「我慢の対価」としか捉えられないならば、そんな働き方さっさと辞めてしまったほうが良いし、新しい世界を知ろうとしたほうが良い。
だけど、この状況の中にすでに入り込んでしまった人たちには、蟻地獄の底の底から、「我慢の対価」としてでないお金のもらい方をしている人たちの姿が見えない。
自分が雇用されることに依存してしか生きられないことに気がついていない。気がついていたとしても、そこまでの危機感、もしくは変わろうというエネルギーがない。
最も給料の低い、非正規雇用という形で雇ってもらう以外の自分の姿が想像できない。そして、こういう選択しかできないような生き方をしてきてしまったという負い目がある。
だから、彼女らは、彼らは、そこから自力で抜け出せない人も多い。ずっとずっと、文句を言いながら、不満を言いながら、体を壊しながら、心を壊しながら、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、いつか本当に壊れて働けなくなる日まで、そこに身を置き続ける。
まさにここにこそ、ブラックな職場の闇、低所得者層の闇があるように思う。蟻地獄に囚われてしまった人たちの姿だ。
そうしてそういう人たちに光の筋を示すことが、自分の使命であるとも思う。
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