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2020年11月14日 プロデューサー養成講座 2の巻

第2講の目的:「地域の情報を整理し、取組みの道筋を定める。」

講座後に、特に考えさせられた、「地域」とは何か?
そして、何に取り組むかを考える時の「社会の力学」、そして「マイノリティ」について、気づき、考えたこと。
そこから、実際に私が、育休「当事者」として取り組むことにした「育休お茶会」企画について、考えたことを纏めてみたいと思う。

1. 「地域」とは何か?

「地域」の定義から考えさせられた今回の講座。

私が、「私の地域」と言うとき、私の主観的な意識の中での範囲を示している。それは大体、私が自転車で行けるくらいの範囲だ。

私の日常的な移動手段は電動自転車。だから、坂も登るし、区界も、川も越える。これが日常的に車に乗る人だったら、もしくは、歩いて生活する人だったら、また変わるかもしれない。「地域」っていう、人によって、場所によって、状況によって異なるものを、果たして定義できるのか?というのが初めに浮かんだ疑問だった。


家にあった国語辞典を調べてみると、下記の定義だ。

地域:区切られた範囲の土地。区画された土地の範囲。
地域社会:ある一定の社会的特徴を持つ地域に成立する生活共同体。
                   <明鏡国語辞典(大修館書店)>

WEBで更に調べてみると、地理学、政治学、経済学、様々な学術的観点から、「地域」の定義がなされ、議論されていることがわかる。

結局、様々な文脈で使われる「地域」という言葉の意味を、その場その場で関わる人と議論し、定義した上で、必要な行動を起こしていくということが重要だと感じた。

2.「地域」をいかにとらえるか

「地域=全住民の意識の至る範囲の中央値」

講師から提示されたこの定義を聞いたとき、思考停止状態に陥った。「中央値」なんて、考えたこともない。

ただ、講座を終えて、「地域」をいかにとらえるか、ということを、今までの経験の中で捉えてみると、いくつかの事例が思い浮かび、理解に近づけた気がした。

まず、考えたのが、私がボランティアとして活動しているコミュニティカフェにおける「地域」(=サービス対象)はどこなのか、ということだった。

カフェにいらっしゃるお客様、コミュニティイベントに参加してくださる方(サービスを受けてくださる方)を、コミュニティカフェの「地域」の方と捉えると、その範囲はとても広い。自転車圏からいらっしゃる方が多いけれど、中には電車を使って来てくださる方もいる。

そんな中で、例えばイベントを企画して告知するとき、どこに向けてアプローチするのか。
最近は、あらゆるサービスにおいて、webマーケティングや、SNSが主流になって、サービスを求める方へのよりダイレクトなアプローチが、可能になってきているけれど、例えばチラシなどで、範囲を決めて効果的に告知する、となると、お客様のお住まいや活動されている地域を見いだし、その割合が高そうなところから、その方々が足を運びそうな施設に向けて、優先的に告知していく、ということになる。

(※これは、私が企業で、マンションの販売時に、折り込み広告や宅配チラシを入れる地域を決めたり、チラシを置かせていただく場所、看板を設置する場所を検討していたときの考え方と同じことだ。)

どこまで厳密なデータを使うか、使えるか、ということはあるものの、今までカフェに来場された方の分析・傾向から、また、同じ地域にあるマンションを購入した方のお住まいのエリアの分析・傾向から、その中央値に届くようにアプローチしているとも言える。


もう一つ、思い浮かんだことがあった。

マンション建設前に行う、「地域」住民の方に向けての近隣説明会。そこで、「説明の対象をどの範囲にするか」ということ。騒音や日照、眺望の変化など、マンションを建設する上で、また、工事期間中の工事車両の出入りなどで、主に生活環境や、経済活動に影響を与える可能性のある範囲の方に説明を行う。(当然ながら、直接的に大きな影響を与える可能性のある方には、事業検討段階で、個別に相談や説明をさせていただく。)

この設定は、とても慎重に行う必要がある。例えば、現地から〇km圏と決めたとしても、その範囲を超えたところにも、何らかの影響を受ける方がいらっしゃるかもしれない。その範囲以内であっても、マンションが建つことによる影響がほとんどなく、さほど気にされないエリアもあるかもしれない。もちろん、人によっても差があるが、地形(高低差など)や、建物との位置関係(方角など)によっても、差があったりする。(南側にマンションが建つとなると、日照時間が短くなることで、影響が大きい…等。)
だから、この設定は、現地調査等で様々な情報を集め、とても慎重に行う必要があるし、中央値よりも、もう少し先の範囲まで対象に入れておく方が、良い場合もあるのかもしれない。


これらが講師が意図していたことと合致しているかどうかは、今の時点では分からないけれども、今回、マーケティングを専門とする講師が定義した

「地域=全住民の意識の至る範囲の中央値」

から、「地域」の示す範囲の多様性と、「地域」をいかに捉えるか・定義するかの重要性。「地域」に関わる仕事の幅広さと奥深さを感じた。


3.「地域」での「取組み」について

「取組み」について語られる中で、心に残ったのが、下記の話だった。

社会の力学は「世論」と「市場」。
「市場」は遠くの環境と相性が悪く、「世論」はマイノリティ側の人権と相性が悪い。

この話を聞いて、思い浮かんだのは、地域政治に関わる方のこと。政策を立てたり、何かに取り組もうとするときに、「一人一人との対話を大事にする。」ということが良く言われること。それは、上で述べた、地域を定義する「中央値」という話と、この社会の力学の話に繋がっているのかもしれないと思った。

世論のような、データで図れないものを吸い上げて、政策を練り上げていくには、一人一人と向き合って、話を聴いて、自分自身の中に積み上げていく必要がある。その中央値により近いところにアプローチできた方が、住民の期待を集め、票を集める、ということなのかもしれない。

マイノリティ側の人権と相性が悪いというのは、例えば政策実現などの行動を起こすための「中央値」へのアプローチを重視する中で、マイノリティの意見まで吸い上げていくというところの難しさが示されているように感じた。もちろん、政治に関わる方の中にも、この部分を埋めようと尽力されている方は多くいらっしゃり、私たちは様々な社会保障の恩恵を受けている。更に、社会福祉法人やNPOなどで、また個人で、マイノリティのQOL(quality of Life)を上げるために尽力されている尊敬すべき方も沢山いらっしゃり、その存在に、支えられている人も沢山いる。私自身も今まで、特に子育ての面において、沢山の制度や取組みに支えてもらってきた。


4.「マイノリティ」って何?

さて、これは講座の内容から少し離れ、私の個人的な関心による掘り下げなのだが、何をもって「マイノリティ」なのか、ということも、また様々な議論があると思う。

マイノリティ:少数。少数派⇔マジョリティー
                   <明鏡国語辞典(大修館書店)>

「妊娠している人」「時短で働いている人」「育休中の人」「小さい子どものいる人」「長期入院経験のある子どもの親」とか。今まで敢えて、意識しないようにしてきたけれど、私自身も、マイノリティの要素を持って生きてきたし、今も生きている。

意識しないようにしてきたのは、自分がマイノリティだと認めることで、今までと同じことができなくなったり、チャンスがなくなってしまうのが怖かったから。マイノリティであることに気を遣われて、人とのコミュニケーションが取りづらくなるのが嫌だったから。

会社の中での話ではあるが、特に、初めて育休から復帰した5~6年前がそうだった。当時、時短で働く総合職がほとんどいない中、「時短だからその仕事はできません!」「時短だから帰ります!」と主張することは避けたかったし、職場ではあまりプライベートなことを表に出さないようにしたいと思って、家庭の方と折り合いをつけながら、がむしゃらに働いていた。
(今となっては、それでは苦しくなるばかりだということが明白なのだが。当時の私には、まだ仕事をコントロールできるだけのスキルや知恵、上司や同僚に対するコミュニケーション力が身についていなかった。)

今では、時短社員で働く社員も増え、男性でも育休を取得する社員も増えてきた。子育てしながら働くことへの理解が進み、制度や体制も柔軟になってきて、プライベートの状況も加味したコミュニケーションが取りやすくなったと思うし、仕事の調整もしやすくなってきたと思う。

マイノリティの数が増えてきて、発言できる機会も増えて、徐々にマイノリティという感覚を持たなくても良い環境が整ってきた、ということなのかもしれない。

私自身、育休を取得したり、時短で働く上で、不便に感じたことや「後輩たちに同じような思いをしてほしくない」と感じたことは、会社に伝えることを意識してきた。人事も、「言われないと気づかないこともあるから、言って欲しい。」と言ってくれて、改善できることは直ぐに改善してくれたし、制度や体制も徐々に変わってきている。マイノリティが当事者として発言することは、ただの自分本位ではなく、後に続く人たちのためにもなると信じたい。


5.「育休中」という期間限定の「マイノリティ」

今の私。「育休中のママ」も、ある意味マイノリティだ。

「保育園」「復帰後の仕事・働き方」「これからの生き方・仕事/キャリア」「ワークライフバランス」「パートナーとの家事・子育て分担」「子どもとの向き合い方」…様々なモヤモヤを持って、不安を抱えたりすることもあるけれど、育休期間は長くても2年、短いと1年弱と「期間限定のマイノリティ」。あっという間に過ぎてしまう。
2回目、3回目となると、赤ちゃんのお世話には少し慣れて、過ごし方も変わってくるけれど、上の子の成長に伴う新たな課題も出てきたり…、人によって過ごし方は様々だと思う。

育休ママは「当事者」である期間が短いし、「育休中のママ特有の課題って何なの?」って考えたときに、一般的に言われているようなものはなくて。
「育休中のママがなんだかモヤモヤして困っている。」っていうこと自体知られていないから、「応援しよう!」っていう動きも起こりにくい。「育休中のママ同士で繋がろう!」っていう動きも確かにあるけれど、なかなか辿り着けていない人も多いと思う。

児童館で子どもを遊ばせながら、ママ同士の交流、その中でお互いに育休中であることが分かり、会話をする…そういう機会はあるかもしれないが、コロナ禍の状況で、なかなかそのような交流も限られてしまっている。

私自身、来年には仕事復帰を予定しているので、育休当事者じゃなくなって、また慌ただしい生活に戻ったときに、たまには経験者として育休中の人の話を聞くことはできるかもしれないけど、また、見える世界が変わっているかもしれなくて。育休中の人にフォーカスして、同じ目線で寄り添ったり、何か動こうとするのは難しいかもしれない。

私が2回目、3回目の産後にとてもお世話になった、NPO法人マドレボニータさんの産後ケア、バランスボール講座を受けたときに同じような話を聞いた記憶がある。

「産後」は体力面でも精神面でもとても辛いけれど、慌ただしく過ごしている間に、あっという間に過ぎてしまう。その後の育児にも、また新たな課題が生まれてくる。
「産後」の辛さについては、長きにわたって「当事者」の感覚を持つのは難しい。だから、そこにフォーカスしたり、支援するっていう動きがなかなか起きにくい。

当事者でないと(向き合う覚悟を決めなければ)取り組むのが難しいこともある。

NPO法人マドレボニータさんの産後のバランスボール講座では、地域の仲間とともに子連れで汗をかき、シェアリングで「自分」を主語に話し、仲間の話を聞くことができた。産後の孤独な時期、私の心と身体にとって、とても大切な時間だったと今でも感謝している。
それまで見逃されてきた「産後」にフォーカスし、産後ママの悩みに特に寄り添ったサービス、繋がりを、明るく楽しく提供している講師の方々は、とても輝いて見えた。
https://www.madrebonita.com

当事者としてできることがあるのであれば、やってみたい。そんなことを考えた。

6.「育休お茶会」やります!

ボランティア仲間に協力をいただき、来年の3月まで隔週で「育休お茶会」を開くことにした。

3回目の育休を取っている人、今まであまりお会いしたことがなくて、かなりのマイノリティなのかもしれない。けれど、それは、一方で育休のスペシャリスト?とも言えるのかもしれない。

オフラインでは、地域の育休仲間と繋がり、オンラインでは、地域を超えて。例えば、私の故郷、九州・鹿児島の育休仲間とも繋がることができるかもしれない。

どんな方とお話できるのか。今からとても楽しみだ。

復帰までの来年3月まで、育休当事者として、まず育休中の方お一人お一人の話を聞いてみる。どんな世界が見えてくるのだろうか。

できれば、「育休中」特有の悩みや皆さんの工夫を(当事者の一人として私の悩みや工夫も)、参加者の皆さんのご同意のもと、集約して、次の育休世代に還元できるようなことができると良いなと思う。
そして、この「育休お茶会」を次の育休世代の方にバトンタッチして続けていけるような、そんな流れを作っていけたら良いな。と、考えている。

7.終わりに

今回の講座、正直な話、講座の時間の中では、「地域の情報を整理し、取組みの道筋を定める。」という言葉の意味を、消化すること自体が、とても難しかった。


それでも、講師の方が丁寧に提示し、解説してくれた、いくつかの言葉の定義は、その後の生活の中や、今までの経験を振り返ってみたときに、「あのときの、あの話と繋がるのではないか…!?あれは、こういう意味だったのか!」などと、じわじわと考えさせられるものだった。

自分が取組もうと思っていることの意義を見直すきっかけになったことが、何よりも大きかった。

今後の地域・コミュニティ活動や、企業での活動においても、前提となる対象の定義を考え、必要な時には仲間と議論しながら、情報を整理し、自分自身の取り組むべき道筋を定めていきたいと思う。

次回、今週の土曜夜の講座も楽しみだ。

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