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言葉について思うこと

言葉は人と分かり合うためにある。

誰かと共に、何かを前に進めたい、達成したいと思うとき、私が発する言葉は相手に伝わってこそ意味を持つ。


私は、言葉が持つそれぞれの響きや細かな意味合いの違いが気になる特性を持っていて、相手が意図していたかどうかに関わらず、「言葉」一つが気になって、悩んだり、落ち込んだり、喜んだり、気持ちが高まったり、自分の発した言葉が気になって眠れなくなったり、そんな繰り返しの連続で、今までを生きてきた。

だから、自分が発する言葉には慎重になるところがあって、自分の想いとしっくり来ているのか、気づかないうちに誰かを傷つけてしまうような表現になっていないかを確認していく作業を繰り返して、言葉を紡いできた。

仕事においても、それを一番大事にしてきたと言っても過言ではないと思う。

私の仕事の仕方は、短期的な生産性や効率といった観点からすると、怒られてもおかしくない働き方なのかもしれない。

でも、それは、私にとって、大切で、譲れないプロセスだった。

ただ、人と本当の意味で分かり合い、複雑な物事を、共に前に進めていくためには、それだけでは足りなかった。

自分自身にとってしっくりくる表現と、相手にとってわかりやすい表現は別物。

相手にとっての分かりやすさを優先するとき、自分の言葉へのこだわりのようなものを、捨てていかないといけないシーンも出てくる。

相手がどんな言葉を、どんなシーンで使う人なのか。
どんな思考プロセスで、たまに発せられる強い言葉に到達しているのか。

言葉の持つ響きを恐れずに、向き合っていかないといけない。

そして、私自身も、大切にしたい言葉を、丁寧に、噛み砕いて、伝える努力をしないといけない。

そうして、言葉のイメージや背景まで共有できるようになったら、きっと、いいチームになれる。

あなたの大事にしていることも、私の大事にしていることも、否定したくない。だから、もっと深く知ることで、既に、共に持っている、大事なことを見出したい。

私の新しいチャレンジは、言葉との向き合いでもある。

人と、分かり合うために。
日々、恐れながら、葛藤しながら、私の中に、新しい言葉を取り入れて、生きていきたい。


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