まるっと信じる強さ
言葉は分かり合うためにある。
その実感をもとに、自分なりに、丁寧に言葉を紡ぎ、相手の意図を確認することを意識してみた。
そこで『分かり合う』の深さを改めて知った。
私の分かり合うための努力の方向が、間違えていたみたいで、チームが、何だかギスギスしてしまった。
分かり合いたい→分かって欲しい→分からせたい
こうなってしまったら、もうそのやり取りは前に進まない。
やりとりしている時は、そんなつもりはなかったけれど、家に帰って、家族と気持ちよく接することのできない自分を体感。肩に力が入って、頭でっかちになって、余裕をなくしていたことに気づいた。
ふと立ち止まってみた。
今、それぞれが頭の中だけで考えていることを、言葉だけを介して理解し合うことって不可能なんじゃないか。
大体のイメージや方向性は重なっていると、直感的には思えるのだけど。
ちょっとした違和感、ニュアンスの違いまで、今、躍起になって重なり合わせる必要ってあるのだろうか。
それは、ある意味、価値観や考え方の押しつけ合いになりかねない。
何より、お互いの心が、疲れてしまう。
同じ景色を見て、体感して、動きながら見えてくるもの、気づくことの方が、多いんじゃないか。
そっち方が大切なんじゃないか。
違った価値観や考え方を持ちながら進んでいく中で、一つのことを選ばなきゃいけないシーンが来たら、その時その時に、それぞれの判断軸に照らして、互いに納得の行く最善を選んでいけば良いんじゃないか。
ここまで同じ目標に向かって、足並み揃えて共に歩んできた事実こそが、一番大切なことだというのを忘れずに、チームを信じたい。
未来のことを心配してもしょうがない。
わかり合えない日が来るんじゃないかとか、自分の思うように進まなくなってしまうんじゃないかとか。
お互いに変わることもあるかもしれないし、変わらないこともあるかもしれない。
チームだからこそ、自分の想像を超えた何かに出会えることは間違いない。
そんな未来への不安も期待も、まるっと含めて、このチームなら、きっと良い方向に進めるはずって信じることができたら、強いよなぁ。
自分の幼さに、ちょっと落ち込みつつも、また前を向いていこう。
一歩一歩、進んでいこう。
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