【仕事も趣味もプログラミング】の燃え尽きリスク
子供の頃から一貫して、趣味も学業も仕事でもコンピュータの勉強がライフワークだった。
おかげで仕事上の評価も順調で、
「こういう生き方が出来る自分なら、キャリアは安泰だろう」と思っていた。
その考えが甘かったと気づいたのは、2010年代後半、私も20代後半になってからの話である。
時間外の自己研鑽が手放しに称賛される世界
エンジニアは平日の夜や土日にもプログラミングの勉強をしたり、勉強会で発表したりすべきだ
との主張は、今も昔も当たり前のように聞く話だ。
- コンピュータやプログラミングに関して学ぶことが大好きで趣味と化しており、仕事時間外にも好き好んで勉強する人
- エンジニアのお金や待遇の良さに惹かれて業界に入ったものの、時間外にコンピュータと向き合うほどこの分野が好きでない人
前者の人はみるみる実力を伸ばして成果を発揮し、
会社や業界も「時間外にも勉強するエンジニアは素晴らしい!」と称賛する。
後者の人は前者の人を見て「ああゆう奴らには仕事で絶対に敵わない」と心折れて業界を去っていく。
結果として「時間外に自己研鑽するのが善」との価値観が、業界内でますます固定されてきたように思う。
燃え尽き症候群は趣味にも忍び寄る
じゃあ前者の自己研鑽組が安泰かというと、そうでもない。
私は20代後半になった頃、あれほど苦ではなかったコンピュータの勉強にやる気が起きない状態に陥ってしまった。
子供の頃から20年ほどコンピュータを触り続けていて初めてのことだっただけに、当初は自分でも何が起きたのか全く検討がつかなかった。
後になって、当時の自分が陥っていたのは「燃え尽き症候群」だったと気づいた。
ただ、自分も以前からこの存在は知っていたものの
「炎上プロジェクトの納期に四六時中終われるブラックSIerのエンジニアがなる病気」
とのイメージを持っていた。
会社だけの業務時間なら定時上がりか、たまに1~2時間の残業が続く日があるくらい。
平日夜も休日も「楽しく」自主的にコンピュータの勉強をしているのであって、ブラックな時間外労働じゃない。
まさかまさかの。そんな環境にいる自分が燃え尽きるなんて。
ただ今になって振り返れば、「まさか」と思った自分の状況にも燃え尽きるリスクが転がっていたのである。
【自己研鑽】という名の暗黙の時間外労働
趣味としても「コンピュータに関する勉強が好き」と言ったけれども、コンピュータと一口に言っても膨大な分野だ。
学生の頃は「自分が純粋に興味を持った分野を勉強していた」にすぎなかった。
もっと言えば、興味を持った分野であれば、コンピュータに限らず生物学・天文学・歴史・民俗風習etc...なんでもござれ。
ところが、だ。
仕事としてエンジニアを始めてから、自分の興味関心に関係なく 「直近の仕事に役立ちそうなコンピュータの勉強をする」 ようになっていた。
するとこれは、業務に必要な勉強を業務時間外にやっているという、完全なる時間外労働だ。
一見会社の労働時間管理上は極めてピュアピュアホワイトな働き方であっても、炎上プロジェクトSIerさながらの働き方をやっていてるに等しい。
しかもそれは業界的には「エンジニアとして素晴らしいタイプ」と賞賛されている。・・・やってることは昭和のモーレツな働き方さながらではなかろうか?
「無自覚のうちに燃え尽き症候群になりうるブラックな働き方をしていた」と自覚してからは
- 自分が好きな勉強 と 仕事で必要な勉強 をしっかり区別する
- 業務時間外には「自分が好きなこと(含む勉強)」を楽しむ
- 仕事で必要な勉強はほどほどに
と、意識して【仕事に関係ないことへ自分の時間を投資する】ことを心掛けるようになった。
そういやってようやく20代後半の燃え尽きから回復できたので、なんだかんだ今の仕事を続けることができ、今に至っている。
短距離で成果を出しても、燃え尽きたら本末転倒
小さい頃、兄はミニ四駆に夢中になっていた。
ある時「カタログスペック上、とても速いモーター」を兄が持っているのに使わないことに気づいた。
「どうしてお兄ちゃんは、このすごいモーターを使わへんの?」
兄は言う。
「そいつはな、使いすぎるとすぐにモーターが焼けて使い物にならなくなるんや」
だから【ここぞ】という時にしか使わないのだ、と。
「もっと勉強すれば、もっと評価されて、上に行ける」−−−仕事の中で、レースへの勝利に野心を燃やすが如き欲望は、今でも湧き出てくる瞬間が何度もある。
もちろん人生で有望なチャンスは常に転がっているわけではない。
「今ここで頑張ってこのチャンスを手に入れられれば、計り知れないリターンを得られる!」と、全力を注ぎ込む方がいい場面はある。
最近も私はそういう場面に遭遇して、平日夜や土日にだいぶ全力を注ぎ込んだ。
けれども人間はコンピュータと違って常に全力を出し続けられるわけではない。
兄が秘蔵していたミニ四駆のモーターのように、使い過ぎれば焼けて使い物にならなくなってしまう。
人生は長距離レースだ。いっときの全力短距離走レースで高みに上り詰めても、すぐに転げ落ちては本末転倒。
ほどほどに走りながら居続けられる場所が、自分にとって結局一番長持ちする場所である。
他人にとやかく言われようとも、自分が走り続けられるペースを守りたいと、今はつくづく痛感している。
もう一つ気がかりなのは、相変わらず時間外の研鑽を賞賛する業界文化に、この20年くらい大きな変化が見えないことである。
ほどほどにしか勉強しないエンジニアを「不勉強」としてレースから追い出し、
勉強しまくるエンジニアを模範的として「賞賛」することで結果的に燃え尽きさせてレースから退場させ。
「そして(エンジニアが)誰もいなくなった」 なんてことにならなければいいのだが。
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