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「ありがとう」は「誰かのため」の種になる

前回の学級通信をまとめていて気づいた「ありがとう」は「誰かのために何かしたい」の種になるのかもしれないということ。
そういえば初任校で出会った生徒が気づかせてくれたのだと思い出したので、まとめておきます。

自分を傷つけ続けていた

初任校は工業高校で、98パーセントが男子生徒。やんちゃな子、勉強についていくことが難しい子も多く、進路変更(という名の退学)していく生徒もたくさんいました。

私は、司書教諭だったので、昼休みや放課後、図書館にいることが多く、そこに集まる生徒たちの話をよく聞く日々を送っていました。

そんな中出会った1人の生徒。

彼は複雑な家庭環境の中で、他にも色んな辛いことを抱え、よく「死にたい」と言っていました。よく自分のことを傷つけていました。身体的にも精神的にも。日常生活の中では明るく、友だちとバカなことをして笑っていたけど、よく闇を抱えて、それがこぼれ出てしまう時がありました。

そんな中、私が大学生の時からボランティアをしていたヤングアメリカンズ(アメリカの音楽教育団体)のワークショップに参加してもらうことに。


教員になったら、自分の生徒にヤングアメリカンズのワークショップを受けてもらいたい、というのが大学生の時から一つの夢でした。

そのため、当日戸惑いながらも、どんどん自分らしく輝いていく生徒たちを見て、涙が止まりませんでした。普段「だめなやつら」とレッテルを貼られている彼らがやり遂げた姿を見て、本当に誇りに思いました。

ショーの終了後、彼らに「不安だっただろうし、戸惑っただろうに、最後まで頑張ってくれて、ありがとう。私の夢を叶えてくれて、ありがとう」と伝えました。

その後、彼はダンス同好会を立ち上げ、前向きに学校生活に取り組んでいましたが、一つの教科で単位が出ないことになり、進路変更を促されました。その話を図書館で聞いて涙して、その涙を見て強張っていた彼の表情を今でも覚えています。

私は成績会議で再度彼の単位認定を検討してもらうよう頼み込み、なんとか次の日にもう一度成績会議を開いてもらいましたが、彼の成績が覆ることはありませんでした。(まぁレポート出してなかったのが悪いのだけれど…)

その後、彼は定時制に転校し、無事卒業して就職しました。まだ少し不安定さを残しながら…

生まれて初めて人の役に立てた

彼が定時制を卒業してから3年後、ご飯に行きました。彼は、本当にいい意味で楽に生きる方法を選んで、自分の弱さとダメなところと向き合って「仕方ないじゃん」と考えられるようになっていました。どんなに落ち込んでも「生きたい」って思えるようになったと言ってくれました。

本当に本当に本当によかった。

ワークショップの後、私が伝えた「私の夢を叶えてくれて、ありがとう」という言葉で、彼が「生まれて初めて人の役に立てたんだ」と感じてもらえていたことを、その時、初めて聞きました。

私は夢が叶って本当に心から幸せで、みんなが頑張ってくれて嬉しくて、感謝の気持ちが溢れ出てて伝えただけだったのに、彼にとっては、とても大きいものだったのだと気付かされました。そして、それを教えてくれて、返ってきたものが大きくて、本当に幸せな夜でした。

「ありがとう」の種

それから気づかないうちに「ありがとう」を使って、みんなに「あなたのおかげだよ。私は嬉しいよ。あなたは役に立っているよ。あなたが必要だよ。」を伝えてきたのだと思います。

誰かの役に立てたという喜びは次の「誰かに何かをしたい」の種になるから。

彼らが何気なくやっていて、気づいていない『誰かのためになっていること』を、私がたくさん見つけて伝えていく。これからも続けていきたいなぁ。

最後まで読んでくれて、ありがとう。私の力になります。

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