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自由研究

 夏休みも折り返し地点を過ぎた八月の中旬、小学五年生の光太くんは夜空を見上げながら困り果てていました。
「自由研究のテーマを星とか星座にしようと思ったのに、あんまり見えないや」
 自由研究。多くの小学生の頭を悩ませる、定番の『夏休みの宿題』です。光太くんも今日まで遊ぶ方に夢中になっていて、この手ごわい宿題に今の今まで手を付けていませんでした。
 そうだ夜空ならいつでもどこでも観察できるぞ、と庭に出てみたはいいのですが、なんだか星の数が少ないように思いました。光も弱弱しく、今にも消えそうです。一年生の時に田舎のおばあちゃんのところで見た星は、もっとたくさん、きれいに輝いていたはずだったのに――幼い頃の記憶がよみがえります。
 しかし、その体験をしたすぐ後におばあちゃんが亡くなってからは、満天の星空を眺めることも、ないままでした。

 次の日の、今度は午前中、九時半時ごろのことでした。光太くんは再び庭に出て、今度は地面を見下ろしながら、あるものを一生懸命探していました。
「あった」
 庭の隅に空いた小さな穴、探し物はこの穴でした。周りにはなお小さな蟻がたくさんいます。大急ぎでキッチンからティースプーン一杯分ほどの砂糖を持ち出すと、穴――蟻の巣のやや横に砂糖を置き、その場にしゃがみ込みました。お父さんは仕事、お母さんは買い物などの用事で出かけています。チャンスは今だけです。
 やがて蟻が砂糖の山に向かって列をなすと、光太くんはそのうちの一匹をつまみ上げ、指先でぷちりと潰しました。その後も一匹、また一匹と、一心につまみ上げては潰していきます。何匹潰したかわからなくなるので、足で踏みつけたりはしません。
「光太、何してるの」不意に声がしました。驚いた孝太くんが顔を上げると、いつの間に帰ってきたのか、お母さんが覗き込むようにして立っていました。小さな砂糖の山の傍らには、同じくらいの高さまで蟻の死骸が積み重なっています。何をしていたか、バレているのは明白です。
「もうすぐお昼ご飯だから、手を洗ってきなさい。早く」
 その後、日が落ちてからもう一度庭に出てみましたが、かわらず星はあまり見えませんでした。

 一週間ほどが経ち、いよいよ夏休みも最後の週です。この日、辛いニュースが町中を駆け巡りました。
 前日に川遊びをしていた小学生の男の子が、流されて亡くなったというのです。大人の目を盗んで、小学生数人が自分たちだけで遊びに行き、誤って流されてしまった、ということでした。
 いつもは会話がはずむはずの食事時も、なんとなく空気が重いままです。
「光太、宿題は終わりそうなの?」
「うん……たぶん大丈夫」
 お母さんはあえてその話題を避けようとしているようでした。光太くんがあいまいに答えると、沈みがちだった表情がより暗くなるのがわかりました。
「多分って……。ちゃんと勉強しなさい。もう蟻なんか潰さないでね」
「しないよ、そんなこと」
 やはりあの時、蟻を殺していたと気づかれていたようです。ですが、二度はしないと心に決めていました。無駄だとわかったからです。

 おばあちゃんが亡くなったとき、人は死んだらどうなるの、と聞いたら『お星さまになるんだよ』と言われました。まだ幼かった光太少年は、何となくそれを信じ続けていました。
 いつかの国語の授業で、『一寸の虫にも五分の魂』ということわざを習いました。意地、考え、誇りなどを指しての『魂』ですが、命の親戚、のようなイメージの方が、理解しやすい気がしました。
 そうすると、虫なんかでもたくさん殺せば、ちょっとくらい星が増えるかもしれない――そんな想像は、たやすく裏切られました。
「今度はちゃんと人間で試したから、大丈夫だよ……」
 光太くんの自由研究は、これからが本番です。

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