メテ夫くん

降ってきたアイツ

「杏子ちゃんと話ができますように、杏子ちゃんと話ができますように、杏子ちゃんと……!」
 夜空を見上げるのも、願い事を口に出すのもずいぶん久しぶりな気がする。星に願いを、なんて言うだけなら簡単だが、見えなくなるまでに三回連続で唱えるとなるとなかなか難しい。
「最後の方が微妙だけど、まあ大丈夫だろ」
 晴れていればナントカ座の流星群が見頃――そんなニュースが流れていた、ある日の夜。夕食を済ませたぼくは自転車を駆り、近所の高台までやってきていた。地方、それも山に近い町となれば、坂道をしばらく上るだけで充分に開けた空を仰ぐことができる。星を見るにはうってつけだ。
「まあ、願いが届いたからって必ず叶うものでもないだろうけど」
 藁にもすがる、おまじない。今のこの時にできる精一杯だった。彼女を好きだというのは間違いなくても、ライバルは多いし、何よりぼくには人に自慢できるほどの魅力がない。
 阪上杏子と同じクラスになったのは今年度に入ってからだ。ウワサは耳にしていたし、それまでも何度か見かけたことはあった。落ち着いた雰囲気の美人で気立てが良くて、成績も上の方……と、非の打ちどころのない女子。
 遠くから憧れを抱くばかりだったのが、同じ教室の、わりと近い席になってしまったものだからぼくの心は乱れっぱなしだ。近くで見るとより美人だし、声が聞こえればそちらを振り向いてしまう。惹かれるなという方が無理な話だった。
 そんな時に耳に飛び込んだ流れ星のニュース、ぼくは迷信に一縷の希望をかけることにした。この決断と行動の素早さは十七年間の人生の中で最速だったといえる。自転車で数分、高台にたどり着いたまでは、よかった。
 しかし特に目立った取り柄もないぼくが大それた願望を抱くのも悪い気がして、仲良くなりたいとか付き合いたいとかいう以前の、消極的な願い事になってしまったのである。さっきのような。
「あーあ、こんなんで叶うならもっと簡単に幸せに……」
 ふと冷静さを取り戻したぼくは、夜空を見上げたまま、誰にともなく悪態をつこうとしていた、のだが。
「?」
 瞬いては消え瞬いては消えする流星の中に、ひときわ強い輝きを放つものがひとつあった。他の星々と違って、そのひとつの流星は徐々に輝きを強めているようで、目を逸らすことができずに――
「アレ? おい、ちょっと……!?」
 ――いや違う。ただ輝きが強まっているのではなく、近付いてきて……燃え尽きずに、降ってきているのだ。流星が。ぼくに向かって。

 さて。
 Q.こういう時どうすればいい?
 A.わからない。

 ばちーん!!

「痛ッてぇ!!!」
 結局ぼくは棒立ちのまま動けず、流星はそんなぼくの額を直撃した。あまりの衝撃と驚き、景気のいい大音響とに思わずしりもちをつく。そして立ち上がることさえせず、さらに下方へと視線を落とす。
 なんたって流れ星、いや落ちてきたからもう隕石か。そういうのにお目にかかれる機会が果たして二度あるかどうか。スマートフォンの明りを頼りに、手探りで周辺を調べる。
「おい、少年」
 この高台には公園とか催し物のできる広場が整備されていて、市によって管理されている。今いる場所はその広場の方で、身を低くしていると地面に張られた芝生から草のいい香りがした。
「どこを探してる、こっちだ、こっち」
 隕石といっても、痛みの範囲からかなり小さなやつと思われる。ぼくは四つん這いになって、草と草、それに土とのあいだを念入りに……。
「もうちょっと右だ、あ、そうそう、近くなってきたぞ」
 ……無視を決め込みたかった。けど、こう何度も聞こえるとなると空耳でもないようだ。聞き覚えのない、男か女かもはっきりしない謎の声。ぼくは震えを我慢して、声を絞り出した。
「誰だ。一体どこにいるんだ」
「だから。もうちょっと右だっての。そう、そこだ、その辺もっと手で探ってみろ」
 謎の声はあくまで正体を明かさず、仕方なく指示に従った。と、草をかき分ける指先に、何か硬いものが当たる。少しばかり開かれたぼくの両足、右ひざ付近に確かに何かがあった。つまみあげてみると、十円玉くらいの大きさの、黒い小石の様な物体だった。
「これが、隕石」
「そ、オレだ」
 放り投げた。
 いや、正確には驚きのあまり取り落としてしまっただけなのだが。
「あっテメェ、その扱いはねえだろ」
 何やらぶーたれるのは、やっぱり、つまみあげたそばから放り出した、アレ。
「石が……しゃべってる!?」
 いかに隕石だろうが宝石だろうが、石は普通はしゃべらない。そりゃあ誰だって落とすだろう。
「オウ。お前の願いに応えて来てやったんだ、ちょっとは感謝しろよ」
 見なかったことにしたかった。ただ、ありえない出来事が現実に起こったというなら、あるいはこの小石が願いを叶えてくれることも本当にありうるかもしれない。ぼくは改めてしゃべる小石――隕石を拾い上げ、一旦ポケットにしまい込んだ。
「うわっ、何しやが……モゴモガ」
 隕石(仮)は何やら文句のひとつも言いたげだが、それはひとまず後。隕石がぶつかったときの音は思った以上に周りに響いたらしく、近くの住民が集まりだしていたのだ。何も起きなければ恐ろしいほど静かなのに、何かあるとなれば多少の距離などまるで厭わず人が来る。まさに田舎。
 そこまで大人数でないとはいえ、小石に話しかけている姿なぞ捉えられようものならご近所での自身の評判がどうなるかはお察しである。ぼくはそそくさと自転車にまたがり、家路を急いだ。

ウチに来たアイツ

「プハーッ、ようやく出られたぜコンチクショウ」
「いつの時代の人……石だよ」
 ところ変わって、自室。
 ジーンズのポケットから解放された隕石(仮)は、ぼくの勉強机の上で気ままに寛いでいた。
「狭苦しいところに押し込みやがって。まったく最近の人間は礼儀がなってねえ」
「仕方ないだろ、あのままじゃまるきり変なヤツじゃん」
 自室は自室で家族に聞かれる可能性があるものの、外よりはマシだ。声のトーンを落としていれば、さほど音も漏れない。
「さて少年。早速だが名を名乗れ」
「いやいや、さっき礼儀がどうって。人に名前を聞くときはまず自分からじゃないのか」
「ぬう、どこまでも畏敬の念に欠けるやつ。しかし名前か。そういえば考えたことがなかった」
「名前がないのか?」
「そりゃあお前、オレ流れ星だぜ。『お星様』だぜ? 大抵の人間はオレらが降ってきたってだけで、黙ってても勝手に崇め奉ってくれたからな」
「それで口の悪さはバレなかったのか……まあいいや、ないものはしょうがない。ぼくは……」
「おっと、ちょっと待ちな」
「まだ何か?」
「この際だからな。オレも何か名前を考えよう」
「いきなりだなあ。まあ『お星様』とか呼ばされるよりはマシか」
「そうだな、流星だから……メテオ。今日からオレはメテ夫と名乗ろう。流星かつ隕石のメテ夫だ」
「また安直な。ま、いいか。ぼくの名前は……」
「おおっと、もうちょっと待ちやがれコンチクショウ」
「今度は何だよ!」
「これからお前の願いを叶えてやろうってんだ、呼び捨てじゃなく、何でもいいから敬称くらいつけやがれ」
「ひと口サイズのジャガイモが干からびて炭化したみたいな姿しておいて」
「だから 敬 え っつってんだろ。そういう事は心の中で思え」
「ええっと、じゃあ」
「じゃあ?」
「メテおもん」
「却下」
「……何でもいいって言ったじゃん」
「なんだその《もん》ってのは。敬称じゃねえだろそれ」
「この国で有名な、ネコ型の」
「却下」
「夢をかなえてくれそうな感が大幅にアップするんだけど――」
「オレはネコじゃねえ」
「じゃあもう『メテ夫くん』でいいだろ」
「イマイチ敬意が足りないが、よしとしてやる。堅苦しすぎてもつまらん」
 自分のネーミングがよほど気に入ったのか、満足げな様子(仮)のメテ夫くん。これでカオと手足がついていれば、大いにふんぞり返っていたことだろう。
「ぼくは南陽介だ。よろしく、メテ夫くん」
 ようやく自己紹介をすませて、ぼくは流れ星のメテ夫くんを迎え入れたわけだが……。
「でも、普通ありえない話だよなー。星が降ってきて、しかもウチに来てしゃべってるなんて」
「その辺のことはいいじゃねえか。細かいことは気にすんな」
「細かくはないと思うけど」
「あのなあお前、オレをありえないって言っちまったらよ」
「うん」
「隕石に衝突して平然と生きてるお前もありえねえだろ」
「うっ……」
「有りえないことが起こっている、コレは『そういう話』だ。だから気にすんな」
(メタい)
 これ以上食い下がってオブザデッド路線になってもまずいので、この話題には触れないことにする。
「そうそうヨースケ。お前の願いは確か、同じクラスのナントカって女子と話をすることだったな」
「杏子ちゃん、な」
「まったく甲斐性のねえやつだ、話しかけるくらい簡単だろォに」
「それができないから悩んでるんだよ。近寄りにくい雰囲気みたいの、あるだろ。ぼくが声かけてもいいのかな、みたいな」
「話すだけだろー? 勉強のことだったり、部活のことでもいい。いっそ思い切ってアタック(物理)しても」
「小学生か! だいたい、クラスでひとり抜け駆けしなんてしたら、どんな目に遭うか」
「じゃあ放課後、帰りとか」
「それが……帰りは、ある男子と一緒にいるのを見ちゃって」
 そう、そこなのだ。彼女に近付くのをためらっている一番の理由。
 二人がどんな関係なのかまでは知らない。けど、杏子ちゃんに交際相手がいたとしても何ら不思議ではない。
「なるほど、話はだいたいわかったぜ」
「それじゃあ」
「まずはその男子を倒す
「たおす」
 まじめに期待したぼくがバカだった。
「おう。邪魔者がいなくなったら話せるだろ」
「そんな、倒すなんてできるわけが」
「ビビってんなー。大丈夫だって。有名な格言もあるだろホラ、『レベルを上げて物理で殴る』って」
「それは格言じゃないし」
「むう、じゃあ毒か何かで……」
「倒さないって言ってるんだよ!」
 つい大声になってしまい、ぼくは慌てて口をふさぐ。家族がやってくる様子はない。ゲーム相手に難儀しているとでも思われているのだろう。
「なんだなんだ、いい加減じれったいな」
「仕方ないだろ」
 その男子というやつが、たとえばとびきり嫌なヤツなら話が違ったかもしれないが。
「スポーツ万能の爽やかイケメン、ぼくなんかとは大違いだ」
「余計邪魔だぞ」
「けど、友達なんだ。妙にウマが合うっていうか」
「それを早く言いやがれコンチクショウ」
 出方によっては、『三角関係』なる非常に面倒な構図ができあがってしまう可能性があるのだ。彼女に嫌われ、数少ない友人をも失ったとあれば残りの高校生活は暗澹たるものとなる。
「だから――何かいい方法ないかな、メテ夫くん」
「ううむ」
 何やら考えているらしいメテ夫くん。だが沈黙は長くは続かなかった。「よし、名案がある。オレにまかせろ」
「どうするの?」
「殴る」

ついてきたアイツ

 で、一夜明けて。
 ぼくは普段通り学校へ行き、普通の学校生活を送っていた。
 クラスメイトとの雑談に適当な相槌を打ちながら、ふと気が付くと杏子ちゃんに目をやる自分がいて、一方的に心うばわれたまま終わっていく――そんないつも通りの一日。
 だと、思っていた。
「よう、陽介。今日はずっとぼんやりしてたけど、大丈夫か?」
「ん……真也か。昨日ちょっと、夜遅かったから」
 放課のチャイムと同時に声をかけてきたのは、例の友人、相川真也だった。まさか石としゃべっていたとは言えずにたどたどしく答えるぼくに、真也は屈託ない笑みを浮かべる。
「ハハハ、そういう日もあるか。稽古のギャラリーを頼もうと思ってたんだが」
「ギャラリー……試合が近いのか」
 剣道部で部長を務める真也は、試合が近くなると『少しでも雰囲気をを本番に近づけるため』といって、ぼくのような、特に放課後用事のない友人数人を、観客がわりとして武道場に招き入れていた。
 実際に暇を持て余すことの多かったぼくは、友人の頼みならと何度か誘いに乗ったことがある。観客とはいえせいぜい四、五人だし、本番さながらの稽古は目で追うだけでも迫力がある。時間を無駄にするよりはるかに有意義ではある。
「そうだなあ、ぼくは今日は……」
 夜更かしして眠いのは本当だ。正座も堪えるし、たまには断ってもいいだろうかとぼくは思っていた。迷って返答に詰まっていたのを拒否のポーズと受け取ったのだろう、真也はわずかに表情を曇らせ、ぽつりとつぶやく。
「うーん。結局、杏子ひとりか」
「行く」
「おっ! さすが親友!」
 杏子ちゃんの名前につられて反射的に意思決定したぼく。と、その返答に明るさを取り戻す真也。当の杏子ちゃんはすでに教室を出たようだ。先に寄るところでもあるのかもしれない。
「いやー、何人か誘ったんだけど、皆予定があるって言われて」
「杏子ちゃんだけじゃあ不都合でも……?」
「付き合いが長いからな、あいつだけじゃ緊張感に欠けるというか」
 付き合いが長い、その言葉ですでに打ちのめされそうになる。とはいえ見学にかこつけて接近(物理)できるのはやっぱりうれしい。準備があるからと真也が教室を出ていくと、教室にははや、ぼく一人が残るばかりだ。
「ふむ、成程な。ヤツが例の男子生徒というやつか」
「うわッ!!」
「なかなか倒しがいのありそうな男よ、腕が鳴るぜ」
 声の主は間違いなくメテ夫くん。腕なんかないだろというツッコミも捨て置き、ぼくは黒ずんだ小石の姿を探した。しかし周りにそれらしきものはない。
「ハッハッハ。こっそり内ポケットの中に忍び込んでおいたのだ」
 セリフと同時に胸の辺りで何やらモゾモゾと動いたかと思うと、やがて懐からメテ夫くんが飛び出した。なんと浮いている。理屈は分からないが、浮遊して自由自在に動けるらしい。
「どうしてついてきたんだよ、皆にバレると後が面倒だろ」
「戦いにあたって、敵を知るのは当然のこと」
「だから倒す必要なんて……!」
「まあまあ。オレに任せろ。とっととヤツの後を追うぞ」
「強引だなあ」
 連れ帰るだけの時間はない。仕方なく懐にメテ夫くんを忍ばせ、体育館の裏、武道場へと向かう。慣れてきたとはいえ、剣道部と柔道部による打撃音および奇声が響く場内はいつ来ても末恐ろしい。
「――杏子ちゃんは、まだ来てないな」
 ぼくは武道場の端に独り正座すると、 とりあえず『相川』のネームをつけた友人を目で追う。まだ基礎練習の途中だが、素人目にも彼の動きの良さは一目で分かった。試合前で気合十分といった感じか。
 その後しばらく、三十分か四十分ほど過ぎた辺りで、基礎から試合形式の練習へと切り替わった。竹刀の音が一旦止み、空気が張りつめる。部員同士の真剣勝負、ここからが見所だ。
 一瞬のうちに間合いが詰まり、竹刀の切っ先が互いの体を掠め、鍔迫り合いが始まったかと思えばまた体が離れ、技を仕掛ける隙を窺う。普段はスポーツのテレビ中継すら見ないが、いざ実際に勝負を目の当たりにすると面白く、観戦に集中してしまうから不思議なものだ。
「ん……?」
 つい夢中になってしばらく気がつかなかったが、真也の周りを何やら黒い物体が……飛んでいる……ような……。
(メテ夫くん!?)
 ぼくは慌てて制服の内ポケットをまさぐる。何もない。そこにあるはずの小石の感触も、何も。
 彼の存在を知らなければ、傍目からはせいぜい虫でも飛んでいるようにしか見えない。しかし真也の周囲を浮遊する黒い物体は、間違いなくメテ夫くんだ。
「何をするつもりだ……?」
 真也とその相手、稽古中の二人の位置関係が変わるごとに、メテ夫くんもまた位置取りを変える。正座したままのぼくが目で追うには限界があった。そして。

 ばちーん!!!

 竹刀の音にまぎれ、昨日も聞いた衝突音が確かにぼくの耳に届いた。メテ夫くんだ。他の人はごまかせても、直接ダメージを受けたぼくまでだますことはできない。
 わずかの間ののち、真也の体がぐらりと前のめりに倒れ――同時に、ぼくの左横でひときわ高い叫びが上がる。
「真也!?」
 突然の女声。ぼくは弾かれたように振り向き、声の正体に心臓が止まりそうになる。杏子ちゃんだ。ぼくが稽古に気を取られている間に、観戦に訪れていたらしい。
「保健室に……誰か手を!」
 武道場は一時騒然となった。ぼくにも協力を拒む理由はない。結局ぼくと杏子ちゃん、それに顧問の先生の三人で真也を運ぶことになり、真也の思惑もぼくの理想も見事に崩れ去る形で、見学はお開きとなった。

 保健室で養護教諭に事情を話し、真也をベッドに寝かせてほどなく。
「うう、こ、ここは……?」
「保健室だよ。練習中に倒れたんだ」
 無事に目を覚ました真也に、ぼくはあえて手短に告げた。
 信じられない、といった表情の真也。上体を跳ね上げ、ぼくと杏子ちゃん二人の顔を交互に見比べる。やがて状況を把握すると、再びベッドに体を横たえた。
「悪ィ、情けない所をみせちまった」
「根を詰め過ぎていたんだよ、無理はよくない」
 色々な意味でかける言葉が見当たらない。真実を話してどうなるでもないし、メテ夫くんのことは黙っておく。
 部の顧問と養護教諭、先生同士の相談の結果、真也はこの後すぐに病院へ連れて行かれることになった。頭を強打しているかもしれないから、と。あとは先生たちが何とかしてくれる。
「それじゃあ――私たちは帰ります」
 付き添いも必要だろうか、などと考えていたとき、下校の意を示したのは意外にも杏子ちゃんだった。先生たちに改めてお礼を述べ、保健室のドアに手を掛ける杏子ちゃん。それならと、ぼくも彼女を追う形で保健室から出ようとした。
 その時だった。
 踏み出した右足のつま先に、硬いものがぶつかる。
「っ!?」
 まさか室内で躓くと思わず、ぐらりと体勢を崩すぼく。あわやすっ転んで大参事かと思われた寸前、目の前に見えた何かを必死に掴んで、どうにか事なきを――
「ちょっ……と、何? どうかした?」
「え゛ッ」
 ――いや、大ごとが起きていた。
 反射的に掴んだ何かは、杏子ちゃんの肩だったのだ。
 頭の中パニックの耳元で、聞き覚えのある声がささやく。
(オウ、今がチャンスだ)
(メテ夫くん!? ンな無茶な!)
 道場での騒ぎの最中に、ちゃっかりぼくのもとに戻っていたらしい。さては足を引っかけたのもこいつの仕業か。しかし――。
(イケるって。たまには思い切れ、ほら早く)
 流れ星の力がどこまでもつかは分からない。この瞬間を逃すと次は永遠にない可能性もある。
 ここまでほんの数秒、しかし限界だ。
 ぼくは意を決した。
「あ、あ、あの、いっ……しょに、帰り、ませんか」
 カオがこれまでになく火照っているのが分かる。つい丁寧語が出てしまうのが何とも情けなかった。
「? 別にいいけど」
「マジで!?」
 拒絶間違いなしと踏んでいたぼくは、予想外の返答に素っ頓狂な声を上げてはしゃぐ。杏子ちゃんはきょとんとした顔で、一言だけ付け加えた。
「でも、手は放してね」
「あ」
 はしゃぎすぎたあまり、つい勢いのままに杏子ちゃんの手を握り締めていて――ぼくのカオはついにゆで上がった。

昇っていったアイツ

「南くんのことは、真也から聞いてる」
「真也から……。あいつはぼくのこと、なんて?」
「お人好しで、バカ正直なやつがいるって」
「うぐ」
「お人好しすぎて、ほっとけないんだってさ」
「ハハ、気にしてくれてるなら嬉しいよ」
 普段はほとんど一人で歩いてばかりの、学校からの帰り道。
 ……のはずが、今日は杏子ちゃんと肩を並べて歩いている。このぼくが。
 隣を見るとセミロングの髪が揺れ、整った横顔に話しかければ答えが返る。夢にまで見たひとときを、実際に過ごしているのだ。
「ところで、病院まで付き添わなくてよかったのかな、ぼくか……阪上さんか」
「ああ、あいつ、変なところでプライド高くて。自分が弱ってるとこ見られるの嫌いだからね」
 なるほど杏子ちゃんはそれを知っていたから早々と保健室を出たわけだ。一方ぼくはぼくで、あれがメテ夫くんの仕業ならそれほど心配はないだろうと思っている。ぼくの願いひとつ叶えるのに、他の人を過剰に不幸にすることはないだろうと。
「阪上さんは、真也をよく知ってるんだね」
「うん、まあ」
「それはその……付き合ってるから、とか?」
「まさか! 違うからね!?」
「ち、違う?」
 決死の覚悟で聞いたものだったが、杏子ちゃんは妙にムキになって否定した。
「ただの幼馴染ってやつ。家が近くて、小学生からずっと一緒でさ」
「幼馴染……それは知らなかった」
 真也の言った『付き合いが長い』は、旧知の仲とか腐れ縁とか、そういう類だ。勘違いが広まったのはおそらく、この二人が美男美女、要するに『お似合い』だったからだろう。杏子ちゃんは真也にあまり興味はないらしい。
「ウワサが広まって、それが本当のことだと思われてる。まあ、不要なちょっかいをかけられないのはいいけど」
「けど?」
「女子のひがみも、それはそれで面倒で」
「た、大変なんだね」
「まぁね。それじゃあ、私はこっちだから」
 話すうち、あっという間に別れの時間が訪れた。ただ今日のこの十数分のおかげで、明日はもう少し気軽に話せる、気がする。
 杏子ちゃんは実に表情豊かで、想像していたよりはずっと親しみやすかった。微笑んだかと思えば大げさに肩を竦めてみたりと、表情の変化を追うだけでも飽きない。どこか近寄りがたい美人――そんな彼女の印象が、ずいぶんと和らいだ。
「どうだヨースケ。叶っただろ、願い事」
「うん」
 杏子ちゃんと別れると、今度はズボンのポケットに陣取ったメテ夫くんが顔……というか全身を出し、ぼくと歩みをともにする。
「これがオレ様のパワーってやつだ。これからはもっと敬えよ」
 自信満々のメテ夫くん。こいつに目鼻があれば、今頃めいっぱいのドヤ顔を浮かべているに違いない。真也をぶっ叩いたのは褒められたことではないが。
「それでさ、メテ夫くん」
「なんだ」
「杏子ちゃんと……その、もっと仲良くなれるかな」
「知らん」
「知らん、ってそんな」
「お前の願いは『話ができますように』だったろ。オレはそれ以外叶えられん」
「ついでに叶えてくれても」
「あのなあ、一回で叶えられる願いはひとつだけだ。どうしてもってなら、次まで待つんだな」
「じゃあ次の便でいいから」
「宇宙の神秘をバスかヒコーキみたいに言うんじゃねえ。ま、ちゃんと願えば次もまた来てやるよ。お前のとこに」
「そういえば、何でぼくのところに?」
「ハッ。昨日願い事してたやつの中で、お前がいちばん頼りなさそうだったからだよ」
「うぐ……まあ来てくれるなら」
「ハッハッハ。願いの強さもお前がいちばんだったけどな」
「そうなんだ。そんなつもり、なかったけど」
「おう。最近はパッとしないやつが多いが、昔の人間はよく分かっててな。星に願掛けするときの格言もちゃんとある」
「格言? 聞いたことないけど」
「この際だ、お前には教えておいてやろう」
 いつになく神妙な雰囲気のメテ夫くん。心なしか、先ほどより高くに浮いている気がする。
「願いも叶ったし、お別れが近いようだな」
「メテ夫くん、また来てくれるんだろ?」
「願いが届けばな。んで、そのための格言だ。一度しか言わないから、よく聞けよ」
 叶う願いはひとつ、役目を終えたメテ夫くんは天に還ろうとしている。ぼくは彼の最後の言葉を決して聞き逃さぬよう、宙に浮かぶ小石に神経を集中した。
「次に星に願う時には、夜空を見上げてこの言葉を思い出せ。いいか」
「うん」

「『もうひといきじゃ、パワーをメテオに』!!」
「それは格言じゃない!!」

おわり

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