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先生、記憶を消したいのですが――。 開業医の私のもとに、そのような『患者』が訪れるようになって、もう数年が経つ。 「はい。いつ頃のですか」 「六年前の、九月九日です。時刻は夜八時十九分七秒です」 私は患者から差し出されたタブレット端末を指で操作し、速やかに目的の『呟き』、SNSへ投稿された、短い文章を見つける。ちらと日付時刻を確認すると、然るべき手順に則ってその『呟き』を削除した。サーバーまでアクセスすることはできないから、『患者』のアカウントから該当する投稿を削除した
僕はある日、とんでもない喫茶店に立ち入ることとなってしまった。 といっても、内情を知らなければ何てことない普通の店なのだが……。 ……謎がありすぎてどう説明していいものかわからない。ので、僕がその店で実際に体験した一日を、順を追って話そうと思う。 きっかけは一本の電話、少し前の週末のできことだった。 「なあ後輩君。二人でコーヒーでも飲みに行かないか」 「二人でっスか?」 たまの休みに昼近くまで寝て、目を覚ましたすぐ後のことだった。声の主は会社の先輩で、歳の近い、日
誰もいない世界だった。 戦火の痕だけがあった。進みすぎた文明のなれの果てだった。 そこに興味を示すものはなく、広大な宇宙で塵芥と同じに捨て置かれた。 人々の記憶、歴史の遺物。ほんのわずかに残った動植物。それらは探せば見つかるもののはずだった。 けれどもそこに触れるものはなく、それらは存在しないと同じだった。 故に、誰もいない、何もない世界だった。 物語は生まれず、残っても朽ちても、何ら意味を成さない世界。 あるいは遠い過去、地球と呼ばれていた場所なのかもしれな
その日、ぼくは地下鉄に乗って、ただただ現実から遠ざかろうとしていた。 地面に敷かれていたレールが筒状のチューブに、角ばった車両が流線型のカプセルに変わってから、もうずいぶん経つ。それなのに横文字の呼び名が定着しないのは、ここが日本だからだろう。西暦二〇〇〇年頃のそれとは外見からスピードまで驚くほど進化しているが、人々にとってやはり地下鉄は地下鉄で、列車は列車らしかった。 このまま遠くへ行ってしまえば、ぼくは束縛から逃れられるだろうか。 海底をぶち抜いて張り巡らされた筒