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気ままに生きてる話

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日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
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#創作大賞2024

人生の心構えは林原めぐみさんに教わった

 90年代後半くらいにリリースされた林原めぐみさんの歌を、今また聴き直している。動機はとくにない。なんとなく聴きたくなって、クルマの中で流している。  まだシングルCDが8cmだった時代の曲ばかりだ。どれも当時のアニメのオープニング&エンディングに使用されたもので、当該アニメを見た記憶とともに、少ないお小遣いを貯めて買ってたなあ、なんて思い出まで、なんとなく蘇る。ま、サブスクが普及した昨今、CDそのものを知らない人も増えつつあるけど。 昨日の私より少しでも 今日は輝いていた

リトルモスキートン‘24

――1:30 Am 蒸し暑さも増してきた初夏の日の夜中、寝ている最中にふと目を覚ました。それ自体はまあ、毎日よくあることだ。一寸ひと息ついてからまた眠ればいい――が、この時は様子が違った。右手の人差し指の先と、左の肘の近くが妙に痒い。痒みに気付いた時点では見た目に異常はなかった。しかし用を足して寝室に帰ってきた時に再び手と腕に目を走らせると、痒みの発生箇所つまり痒心地とその周囲が円形に腫れ、皮膚が盛り上がっているではないか。これは……拙い。  過ぎ去った時とともに存在を忘れ去

風にたゆたうマインド

 五月十六日、朝から風が強い。がたがたと音を立てる建具のやかましさに朝の五時前には目が覚めてしまった。けれども夜中に目を覚ましてトイレに立った記憶がないから、いつもよりかはよく眠れていたのかもしれない。ここ最近はかなり早い時間からきちんと寝る態勢を整えて眠るよう心掛けているが、中途覚醒なしで朝を迎えるのはなかなかめずらしい。  早く起きたら起きたでやりたいことはいくらでもあるといえ、その後に仕事が控えているとなるとあまり根を詰める気にもなれない。職種や業務の違いはあれど、とに

冷めた珈琲と誰かのハート

 何年振りかに五月にマトモな連休をとることができ、ずっと作業でウチにこもるのも少々勿体なかろうか、などとちょっとしたドライブがてらにランチに出かけたのがゴールデンウイークも終わりに近づいた某日の話だ。といっても特に目新しい所を探すでもなく向かったのは有名チェーン店、名前はコメだが主に出てくるのは珈琲とパンのあのお店である。ただ、市内にある車で20分くらいのところではなく、時間でいえば倍くらいかかる隣の市のお店のほうが、どちらかといえば『行きつけ』なのは変わっているといえば変わ

今年もバースデイ

 さて先日また年を取った。とくに年齢非公表ということでもないが、誕生日のたびに『ファミコンと同じ年の生まれ』だと言っている気がするので、だいたいそのくらいだと察していただければありがたい。さすがに0歳児でゲーム機を買い与えられることはなかったものの、3歳のバースデープレゼントとして、当時発売されたばかりの『ディスクシステム』とともにファミコンを与えられたと記憶している。というかまだ残っている。  ディスク読み込み用のベルトはおそらく経年劣化で傷んでいるといえ、本体自体はファミ

普通にナイスデイ

 エッセイ的なものを主なジャンルとして日々書き連ねていると、ときどき困ったことが発生する。いや別にエッセイ的なものでなくても似合たような状況に陥った人はいるかもしれない。『大したネタがない』という、明快であるがゆえに切実な、何とも打破しづらい状況……。  特にサラリーマン業で変哲ない日常業務に従事しているとその傾向は顕著で、職場が多少変わったところで社外秘はどこにでもあるし、そもそもそういう話は誰も興味がないだろうから書かない、とは何度か言ってることでもある。何かこう、製造業

サヨナラだけが人生さ。

 四月九日午前七時、雨が強い。ついでに風まで強い。ついこのあいだ咲いたばかりの花にとっては早すぎる桜雨、ここ数日はすっきり晴れた日も少なかったために、花見気分もいまひとつパッとしないまま荒天とともに見頃が過ぎ去ろうとしている。儚いったらありゃしない。近くに小川でもあれば風に散って舞う花弁と水の流れに揺蕩う花弁とのセットでより風流を感じられようが、残念ながら樹の近くには道路しかないため、落ちたそれは人や車に踏まれるばかりである。やっぱり儚いったらありゃしない。  花に嵐のたと

なるべくエッセイスト

 noteを再開してからというもの、日々こうしてエッセイ『的』なものを書いている。はっきりきっぱり『エッセイ』と言わずにあくまで『エッセイ的』と表現するのは、エッセイ、つまり随筆というものを、深く勉強したことがないからだ。基本となる形式、作法、あるいは技術といったもの、要は『これがエッセイを真にエッセイたらしめるモノである!』みたいな確たるモノがないままに、最初から最後まで気の向くままに書き連ねている。  それほど勉強したことがない、というのも考えてみれば当然で、もともとは

昔日のメモリー

『昔から変わらないなぁ』なんて言われたのは数日前、Xでのナオさんとのやりとりでのこと。学校の先生の話、からの流れで学生時代の思い出をほんのり呼び覚ましていたときだった。あれは私が中学生だった頃の話だからもう四半世紀以上が過ぎ去っていることになるが、はて職を転々としつつ色々やったりやらなかったり続けたり諦めたりしてきたのちにある今でもそんなに変わってないものかしら、などと考えてみていた。自分だとわりと分かりにくい……というか、あんまり自覚がない。  中学校生活が始まった最初の

フライング・ラプソディ

 休日のランチをどうするか。これがまたなかなかの難題である。サラリーマン業に赴いていれば社員食堂で手軽にお安く、また悩むこともなくすんなり済ませてしまえる分、そうでない日のことを考えるのが大変めんどくさい。  歩いて5分のコンビニには社食が休みの土日祝にたいていお世話になっているものだからそれ以外の日にまで変わり映えしない味を求めたくもなく、かといって他で買い物となれば車を出さないといけない。たかが数キロ、されど数キロ。ここ最近は部屋の中でやらなきゃならない作業の方が多いもの