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人生の心構えは林原めぐみさんに教わった
90年代後半くらいにリリースされた林原めぐみさんの歌を、今また聴き直している。動機はとくにない。なんとなく聴きたくなって、クルマの中で流している。
まだシングルCDが8cmだった時代の曲ばかりだ。どれも当時のアニメのオープニング&エンディングに使用されたもので、当該アニメを見た記憶とともに、少ないお小遣いを貯めて買ってたなあ、なんて思い出まで、なんとなく蘇る。ま、サブスクが普及した昨今、CDそのものを知らない人も増えつつあるけど。
昨日の私より少しでも 今日は輝いていたいよ
(『Fine colorday』より引用)
最初に『林原めぐみ』という人間に惹かれたのは十代の頃で、それなりに辛いこともいくらか経験しながらも、未来には夢や希望だけを抱いていたときの話だ。実際のところは他にも色々と降りかかってきて、というのは説明するまでもない。誰しも人生のどこかしらでそんな目に遭うように、私にもユメヤキボーなんてものが消え失せてしまったコトがやっぱりあった。
それまでだって一歩ずつ、懸命に歩いてきたのは間違いない。けれど、必死になって進んできたはずだのに少しずつ進めなくなり、やがて立ち止まり、正気に戻った時には怖気を震ったほどだった。他でもない、後退しきった自分自身に。
生きることって 自分を貫くわがままかもね
(『EXTRICATION』より引用)
生きながらにして死んでいるのとほとんど変わらない状態から、再び前向きに歩き出すまでに、かなりの時間を要した。好きだったモノやコトに触れる気力が戻ってきたのは、結局のところエゴの力なのだと思う。どちらかといえば悪いイメージの付きまとう言葉だけれど、自己愛と他者への愛は矛盾しないし、そもそも人生という旅路やら舞台やらの主人公は自分自身でしかない。誰しもそうであるように。ありがちな悲劇を、つまらない結末で迎える――そんなのは真平御免、ってやつだ。
現在でこそ好き放題に書き散らかしているが、立ち直ろうと足掻き始めたいちばん最初は1時間とか2時間とかかけても5行程度書くのが精いっぱいだった。『あ、もう終わったのかな、もしかして』と、ごく自然に思いつめてしまいそうになったよね。切っ掛けはずいぶん節操のない二次創作だったといえ、手伝って、盛り立ててくれた当時の仲間たちには感謝しかない。
たとえ100回願っても 動き出さなきゃつかめないから
(『raging waves』より引用)
適当なところで適当にあきらめて、そこそこ楽しく、さほど悲しくならない怠惰な生き方も選択できたに違いない。しかし心はその選択肢をあっさりと棄てた。自分を貫くのを諦めない力に突き動かされて歩き出したのだから当然といえば当然だ。日々を漫然と浪費したいだけだったなら、自費出版なんて酔狂には手を出さなかったろう。私は生きていたい。私を生かしていたい。死んでもなお生きていたい。
ただ、大げさな言葉で飾ってみても、時間がかかっている……というか、いつでもほんのり『意志が弱い』のは事実だ。ずいぶん前に指摘を受けたことではあったものの、その後に過ごしたしばらくの期間を自分で振り返ってみた際に、ようやく実感が伴う。このままではいけないと。いずれ有料記事の方にも書くだろうが、最初の本に関しては自らの『墓標』のつもりで刊行した。たった一冊であっても、私の代わりに本が残り続ければよい。それだけが願いのつもりでいた。
幸せは小さなつみかさね
(『幸せは小さなつみかさね』より引用)
実のところ『不可思議短編集』の初版1000部はまだ売り切れていない。これはひとえに私の努力不足であると、今さらながら痛感している。売れない本は犯罪だ、という言説を目の当たりにしたのが先月のことだ。自費だと自分のみに降りかかるものであるから罪の意識は薄めだが、出版社がカネというリスクを負ってまで世に送り出したものであれば売れなければ損害でしかない。ともすれば生活をも脅かす、まさに『罪』そのものである。本が無事に刊行されたことで一定の満足感を覚えて、その後まで考えていなかった。売れてない日の数を数えてガッカリしているだけで現状が変わるなら、誰もがベストセラー作家になっているだろう。
再スタートはここからだ。ちょっとばかり遅すぎた感は否めないが、何もしないわけにはいかない。小さな活動(主に宣伝)の積み重ねから小さな幸せを、小さな幸せの積み重ねから少し大きな幸せを、絶えず積み重ねていきたいじゃないか。せっかくの墓標を犯罪者の墓にするよりは、誰かがそっと花を手向けてくれる墓の方がいい。積み重ねたものがいずれ月へと届くように、ここからまた。
人には明日を信じる力がある
(『Proof of Myself』より引用)
これまでに実際に手に取って、読んでくださった方々には何度でも御礼申し上げたい。X(旧Twitter)やnote、あるいは他の何かで興味を持っていただいた皆様、本当にありがとう。もし期待に添えなかったら申し訳ない。どちらにせよ『誰かに読まれた』という事実は著者にとって何より有難いことだ。ひとりひとりに個別に対応していくのは難しいかもしれない。それでも確かに救われているのだ。読者のいない文章家なんて、存在しないも同じなのだから。
さて結局のところ自分の本の話ばかりになってしまったが許してほしい。ついでに本も買ってほしい。必死にもなるさ、これまで4年か5年サボっていたものを1年半でやり遂げなきゃあならないんだ。情熱に火がついたら、もう形振り構ってる暇なんかないだろう? 時間は限られている。今日が終われば明日、明日が終わればまた次の日と、しっかり力を注いでいかなくちゃあ。夢も希望も本当は自分の中にある。信じる価値も意味も、一日一日にそれぞれちゃんとあるんだ。
学びなんて『萌え』と一緒さ。創作者がまったく意図してない部分からだって、適当に拾ってくれていい。こんな自分語りでも悩める誰かの一助となれば、それもまた小さな幸せだ。お互いがんばろうぜ。
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